今回、ガレキ部隊活動の場は、とある住宅の駐車場。
・・・駐車場、なんて聞くと狭そうに感じるかもしれませんが、そこは東北なので(?)、家1軒が悠に建つ、かなりのスペースです。
そこで、ガラスの破片等を拾う作業でした。
これは、いわゆる「ガレキ撤去」のイメージとは随分違うかもしれません。
大物を処理するガレキ撤去作業と違い、地面と向き合って、延々と破片を探しつづける、地味な作業です。
派手な肉体労働をイメージしている方にとっては、もしかすると、ガッカリするかもしれません。
が、大物を処理する段階を超えたことは被災地の復旧・復興が進んでいる証であり、
被災地を応援したい者としては、嬉しいことです。
そしてまた、ガラスの破片等が散乱していては車が出入りできない(人も危ない)ので、地味な作業ではありますが、これもまた、重要な作業の1つです。
JILCAのメンバーはそのあたりもしっかり理解し、黙々と前向きに作業に取り組まれるので、すごいな~、と思います。
今回の依頼者は、現在、遠く離れた仮設にお住まいだそうです。
ボランティアセンター(VC)経由のお仕事は住民からの依頼に基づいて行われるので、必ず、依頼者がおられます。
基本的には依頼者は、VCとのやりとりだけで作業をするボランティアに直接会う必要はないのですが、東北のみなさんは毎回顔を出してお礼を言ってくださり、毎回、いろんな差し入れまでくださいます。
夏の暑い時期なら、冷たい飲み物だったり、アイスだったり、
今の時期なら、甘い食べ物だったり、果物だったり、、、
今回の依頼者さんも、食べきれないほどの差し入れをご用意くださいました。
ありがたいことです。
差し入れももちろんありがたいのですが、本当にありがたいのは、その、心です。
今回、顔を出してくださったのは高齢の女性だったのですが、
とにかく仮設が遠く離れた辺鄙な場所にあるため、
バスの本数も少なく、
このためだけに、わざわざ、朝早く起きて、お越しくださったようでした。
仮設での不便な生活を余儀なくされていながら、ここまでの気遣いができるところに、人として尊敬の念を抱きます。
また、同じご親族を思われる方が駐車場の前に住んでおられ、
そこの庭にはテントが設営され、小さな子供のいるご家族が住んでおられるようでした。
右の家は全壊、左の家はほ無事、という不思議な光景は被災地特有でしょうか。
立ち入ったことはわかりませんが、どうやら、1つのご家庭が、ご親族の家の庭でテント暮らしをされているもよう。
なにもなくなってしまった町に、たくさんの人が来てくれて嬉しいんでしょうね、
ガレキ部隊がガラスを拾っている駐車場を、1日に何度も、その小さなお子さんが笑顔で手を振りながら走り抜けていきました。
そこでメンバーが感じたのは、「こんなに小さな子供が、ガラスの破片の散らばる場所を走らなければらない」という、被災地の現実。
早く、安心して子供たちが遊べる町になるといいですね。
駐車場は家1軒がたってもおかしくなく、子供が走り回れるほどの広さで、
ガラスの破片拾いは思いのほか手間のかかる作業だったので、
なんと、毎日約10名が朝から夕方まで作業しても、終えることができませんでした。
この、時間のかかる作業こそ、人海戦術ですべき作業なのかもしれません。
今回の作業場所は、山田町役場の前、という、本来なら町の一等地に当たる場所だったのでした。
今回、偶然にも、山田町役場前の、震災前の写真を見る機会がありました。
こちらが、被災前。
写真を撮影したものなのでわかりにくいかもしれませんが、左の白い建物が山田町役場、右が港です。
間の道は私たちがしょっちゅう通っている道で、道からは、役場も、港も、まったく見えない状況だったようです。
被災前の山田町をよく知るメンバーによると、もともと漁港として栄えていた山田町は、夜中でも煌々と明かりがついて、星もあまり見えないほどだったそうです。
そして、こちらが、現在。町役場を背に、港向きの写真です。
・・・その違いに、メンバー一同、言葉をうしないました。。。
被災後に山田町を訪れた私たちからすれば、
ガレキの山が更地になり、
仮設店舗も立ちはじめた現在はかなり復興が進んでいる、と感じられ、単純に嬉しく感じます。
しかし、もともとの栄えた町を知っている住民の方々にとっては、相変わらず変わり果てた町の姿は、言葉をうしない、愕然とさせられるものなのかもしれません。
これを機会に、「被災地の復興」ということについて、今一度考えていきたいと思います。




