最近、公的にあるメッセージを受け取った。
・・・私は、公共なんて知りません!
なるほど。そういう時代かもしれないな。と、少し感心した。
NHKの『おしん』が日本文化の美徳だと宣伝された日本からかなりが過ぎた。日本は、すでに『おしん』の面影もない。
無論大変な人はいるのだが・・・やりたい放題の方々も。さらに、やりたい放題をやらされている方も増え、そのやらされをしている方が・・・。という。
よく周囲を見てほしい。
反中だ!反中だ!
とネットで行っている中、アメリカ合衆国も、日本政府も、反中などやっていないかのような状況である。台湾政府ですら、中華人民共和国との貿易を重視している。この奇天烈(きてれつ)さを見ていて、呆れている人も多いのではないだろうか。
ジャーナリストも・・・
反中政策を打ち出しています!
反韓政策を打ち出しています!
と言っているが、あの日本会議だなんだかんだ、の、佐川急便は中華人民共和国から自動車を輸入するそうである。
歴史的に、佐川氏自体、日中関係を重視したのではなかったか。
そう考えると・・・最近の論者は節操がないな。という考えに至ってしまいそうになるのである。
ただ、何かしら新しい視点があるのかもしれない。と期待もしているのだが・・・どうだろうか。
『新しい公共』論というのもあるのだが・・・その新しい公共論は、ヒトにやさしければよいのだが・・・どうだろうか。
アメリカ合衆国では、お金持ちたちが、ある程度の政府への寄付や増税を希望している、ともいう。しかし、これは、ロビイスト活動を経て国会で承認されるかどうか、という問題もある。口頭でいっても実現できないのであれば、絵に描いた餅でしかない。
これらのことは、日本で言えば、某ソフトバンクや某楽天、某サイバーエージェントの何某さんが、自分たちの増税を求めるのと同じ事であろう。しかし、日本側でそういう動きはない。だがしかし・・・少しいうならば、安くものを安全に販売することや、無料で安全にブログが残せたりすることなどは、それらに匹敵することなのかもしれない。無論利益も得ているのだろうが。(このブログで利益を得ている?・・・ひょっとしたら・・・(-_-;))