最近ふと・・・
・・・『民主派』『護憲派』標ぼうは『偉そう』?
と思うことがある。
どこかのRPGで・・・何かのイベントをクリアすると・・・
称号 『民主派』
というのがもらえるらしいが・・・(-_-;)
誰がそんなばかげた話をつくったのやら・・・
しかも、その称号が消えないなんて・・・
似た話で、
ジャーナリスト
という称号があるらしい。
しかし、
・・・誰?
という者がジャーナリストを名乗っている。
いや、その、経歴が分かれば、ある程度は分かる。例えば、元朝日新聞記者ならジャーナリストだろう。
記事 を書いていたら、もしかしたら ジャーナリスト だろう。(読まれなくても)
主婦だって、考えようによってはジャーナリストを名乗っても良いのでは、という本もある。どうしてかといえば、チラシや情報収集によって安いお得な買い物をする。それは、取材ではないのか。また、井戸端会議で情報を広め共有をする。それは報道ではないのか。というわけである。
つまりは、名乗れば誰だってジャーナリストくらいにはなれる可能性はある。
ただ、一般的に、ジャーナリストと認められそうな人は、表で知名度がある場所や組織に出ていろいろしている人なのだろう。そういう意味では、ジャーナリストに対して、レイプの被害を受け裁判をした女性も、過激派に捕まり釈放されたのちに旅券を奪われて悲鳴を上げている男性も、テレビではジャーナリストと言われているが、一般では、ジャーナリストとしての認識はそれほどでもないのではないか、と思われる。ただ、そうであっても、それらの人たちが、報道をし、伝えることによって、いろいろ見えてきているものもあるのかもしれない。
なお、面白いのは、情報制御(情報コントロール)によって生み出される社会においては、報道はすでに報道ではない(宣伝でしかない)のかもしれない。ということもある。
海外で悪逆非道な問題が発生しています、という裏側で、国内において、貧困問題が浸透している。
という場合において、それを正面から報じない、ウェイトが小さすぎる、とするならば、もはや、一般にとって報道は広告でしかなく、下手をすると、ジャパネットなにがしの生中継のショッピング未満の価値しかないのかもしれない。羽根布団やクーラーでぐっすり眠れる。ということを伝え、えいままよ、と購入したお客さんが・・・ぐっすり眠れたとするなら・・・それは有益な情報ではないのか。しかし、購入した結果、電気代が上がった、という話も有益な情報ではあるのだが・・・(実際の状況は見えてこないわけであるのだが・・・)もしかしたら、ジャパネットなにがしの販売した商品の調査をまめにやりその結果を報じるだけで、報道の何たるか、になるのかもしれない。内容によっては、収入が増えたとか、あるいは、リストラにあったとか・・・。知りたかったりすることはありませんか?
いずれにしても・・・そういう感じがしてしまう面も否めず・・・このテーマで書いていて、奥が深い話になってしまったな、と思っていたりするわけである。