最近、長期間
医療機関を明らかに遊び場にしている人間がいる
という話を聞いている。どういうことかというと、
力や集団を使って他の患者を押しのけ自分勝手に医療機関を操作している
というのである。
事実かどうかわからないが、ある有名人がかかわったとか、行政が、実質、適切な情報を与えずに特定患者の医療環境に圧力をかけた(不安を与え続けた)という話もある。圧力をかける行為は医療の妨げとなることを全く理解していない。ひょっとすると医療機関かもしれない。という話なので分からないが。
蜘蛛の糸、という仏教の話があるのだが、それとは反する行いをしている、というのである。
医療機関の医師へのサービスを1人で数時間確保するくらいならかわいいものだが、もはやそういうレベルではないらしい。医療機関そのものが消失している今日、その問題は死活問題となってきている。その人間たちが、それに代わる医療機関の補充などを行うのであろうか。
大都市に医療機関が集中して弊害が起きているのは知っている、とある大学病院の医師が述べていた。その背景には、一部の市民の身勝手な行動もあるのだろう。
Iターン、Uターンと大都市が言っているが、受け入れ先の地方都市はそういう状況である。
驚いたことに、先日、ある地方都市の市議会に、他の病人を罵倒する陳情(それとは別に、別人だと思われるが、ナマポ=生活保護を拡充するべきだという陳情もあった)が届いていた。内容は、ある就労者の障害者手帳に対する疑惑を書いたものであった。市議会がよくその陳情を受理したな、と思うのだが、市民のこころがすさんでいるさまが表現されていると思われる。
過去、儲かっている芸人の貧困の親族の生活保護を糾弾した国会議員がいたが、その流れは、粛清の嵐となって地方都市を吹いている。
警告する。・・・否、もう手遅れだろう。
こういうことは、いったん壊れ始めると、もはや適切な収拾することは困難である。
最後には、一部の者のみがその地域で優先的な医療を受けることになるのだろうが・・・否、それとも、どこかの小説のように仮想経済にとって代わるような話になるのであろうか。それは神のみぞ知る。そんな感じで見ている状況が、地方の一部ではあるようだ。
外国の政府機関の日本訪問サイトに、きれいな整備された松の木が撮影されていた。
きれいな松の木を作るだけならば、ある程度は技術だけで出来る時代になっている。
東南アジアに日本村を作りたい、という某有名設計者の構想を聞いたことがあるが・・・こころの中にある日本が海外で創造され、そこで日本を体感して日本を実感したとされることがないよう、中国など海外から入ってきたお正月の100円ショップ商品と日本国憲法前文をみつつ、公務員が作ったという公的書面を見ながら、この想いを記事に書いておこうと思う。