※読み方を間違えると怖い話になります。社会問題を書くとどうしても已む得ない場合があります。閲覧に問題があると思われる場合は、ブログ管理者による閲覧制限等を認めます。が・・・社会問題を扱っていますので、ご理解ください。
少しびっくりしている。
「殺してやりたい」は重罪だ
そう書かれている記事を見つけました。
それだけではない、というのもわかるのですが・・・
「殺してやりたい」と言った
「殺す」と言った
これが罪になる(死刑になる可能性もある)時代なんですね・・・不思議だ。
・・・土や水に毒をまくようなゴミの不法投棄は罪にならないのに。
写真を載せておきましょうか・・・やめました。
ボールや土砂、買い物袋、下手をすると商品も入っていますが・・・そういうものが散乱しても、投棄した人は実質無罪なんですね(「溝に落としてしまった」と連絡はされたのでしょうか?)。誤って落としたケースが多いのでしょうが。(さらにそれも放棄されているわけですが・・・)
どうぶつについても言えます。猫が放棄されていても、行政がさらに放置し・・・社会問題になるわけです。
正直、本来は、排出者責任、だと思います。
拾えるものはとっくの昔に善良な人は拾うわけですが・・・拾えない場合は連絡するわけです。
(過去は、拾う係や慣習上拾うことになり、拾ってくれたわけですが・・・市民が連絡すると拾っていたそうだ、ということは確認しました。)
ただ、行政としては、そういう係がないと本来動けません。で、それを悪用して仕事をしたくない方向で行動する人たち(行政側も)もいるわけです。
例えば
「報告内容を偽造する」
やれない、と言われば、一般の市民は「自分が落としたわけだし」と最終的にあきらめるわけです。経験や体験談により、溝に物を落とし拾えないと無連絡で放棄する。
スマートな生き方だといえます。そして、行政側には連絡はいかないわけです。
ただ、定期的に溝掃除をするわけですが報告内容が不十分でよい、となると、溝掃除もしなくなるわけです。(そのお金はどうなっているのやら・・・)
そして、ゴミはたまる方向にシフトします。実際、土砂撤去は予算化されていませんので、土にかえるものもあり・・・
たまに、市民が通報しますが・・・
「定期的に作業しています」
とだけ回答すればいいわけです。
・・・市民の無関心が引き起こしていますので、已む得ないわけですが・・・おそらく、こうなると、近未来では、人の記憶まで偽造するんじゃないでしょうか~。
証拠はあるのか?
そういうあほな人がいます。でも、みなさん。そういうところありませんか?衛星写真撮ればわかると思いますが・・・
そもそも、デザインも維持管理しやすいように作られていないわけです。(にやり)ゴミがたまりやすい溝に掃除がしやすいような機能がありますか?
・・・しかし、ついかっとなって「殺してやる」と言っただけの行為は裁かれる・・・わけです。
「殺してやりたいわ」という話は、いろいろあるでしょう。
妻が浮気した。夫が浮気した。
・・・殺してやりたいわ。
隣の保育園がお出迎えの父母の車でひどい騒音をだす。
・・・(そういう車の運転方法をする人は)殺してやりたいわ。
感情としてあるとおもいます。
ただ、感情として言っても、極端に言えば、殺害予告だとして殺害してよい的なことを認めるような風潮があります。無論、勘違いでまずいと思って結果的に殺してしまうことはあるわけですが(過剰防衛)また、本当に殺しそうな人もいますが(DV・・・殴ったりする行為がある、あるいは、普段から挑発し続けていて爆発してもおかしくなかった)・・・なにかこう、突発的なことにたいしておかしくなっている社会ではないかな、と思っているのです。
無論、DVの人が、というような前提条件はあるのですが・・・その前提条件が何か間違っている気がしています。
少し見方を変えると、こういう話になります。
突発的なものは有罪(・・・殺してもやむ得ない)
毒を少しずつ盛る行為は無罪 (※レイチェル・カーソン 沈黙の春)
ある意味、知能犯を増やしていて怖いですね。 いずれにしても、知能犯は裁かれない、という、悶々とした空気が世の中を覆っていると率直に言っておきたいと思います。