平成22年2月28日
(宙の会結成2周年集会)
決議文
皆様は、たとえようのない胸の苦しみに陥ったことがありませんか。その時、死にたいと思ったことがありませんか。
私たち遺族は、悲しくて 悲しくて 悲しくて、苦しくて 苦しくて、本当に死にたいと思ったことが何度もあります。
でも、今 生きています。死ぬことができなかったのです。
それは、このまま死んだら私が悲しみ苦しんだように他の家族が同じように背負うことになるのではないか。また、殺された被害者は、私に生きて無念をはらしてと念じているのでは・・と思うと、生きてそして死んだつもりで殺された人に代わって、無念の代弁者として頑張ろうと決意をして参りました。
そして、このような世の中の悲しみ・苦しみを味わうことのない安全な社会にするために、行動することによって頑張ろうと心に誓っております。
この度、明治以来130年に及んだ殺人事件の時効制度について、法制審議会が廃止の答申を14:1という圧倒的な多数で決めました。今後は、時効に至っていない未解決事件についても遡及するという答申内容に基づいて、法案が作成され、そして国会で審議されることと思われますが、なぜこのような流れに至ったかという現実を直視して頂きたいと存じます。
人の生命は死に至れば還らぬ人となります。還らぬ生命を奪った者が何らの裁きを受けないという制度の存在をおかしいと感じたことに他なりません。もし、自分の家族が殺され、ある時がきたら忘れられるなどということはあり得ないだろうと心から感じたのではないでしょうか。
そのような国民の素直な思いが、政府に届き、法制審議会の答申に至ったと私たちは考えております。
しかし他方、廃止の見直しについてはいろいろな反論もあります。反論を全く否定するつもりはありませんが、被害者に代わってまた同時に被害者になった遺族として、これだけは述べておきたいと存じます。
それは、反論の中に「被疑者・被告人の記憶も薄れ、防御権を維持できない」(日弁連)や、「制度は現在も妥当、廃止や延長で冤罪の危険が高まる」(法制審議会委員)、また「目撃者や関係者の記憶が薄れれば立件は難しい」(警察幹部)というような意見が報道されておりますが、私たちはこのような意見は、時効制度そのものを真摯に捉えていないのではと疑問を抱いております。時効制度は裁判にかけるかかけないかの論点です。「記憶が薄れレバ」立件が困難とか、立件できるだけの「証拠がなけレバ」冤罪を生むというような「タラ・レバ」の論点は、犯人逮捕後の立件・公判段階の論点であると考えております。先ずは国家として、殺人という犯罪に対して、時の経過とともに立件・公判を判断することさえ閉ざしてしまうのか、裁判権の一切を放棄してしまうのかという問題と考えております。何年か経って犯人としての容疑性が浮上した時に、冤罪が生じないように、日進月歩で向上している科学捜査を駆使するなど、可能な限りの捜査を尽くして逮捕できるか否か、或いは立件できるか否かを慎重に判断して、真実を解明することが正義なのではないでしょうか。それを容疑性が浮上しても、或いは明確に犯人と断定できる証拠が整っていても時効だから、その人には触れられない・触れたら人権侵害になるという時効制度は、著しく正義に反しているのではないでしょうか。
被疑者・被告人の防御権は、あくまでも被疑者・被告人に至った時の論点であり、未解決事件において被疑者が不詳であり、しかも犯人は時効まで身を隠して逃亡するという行為にまで防御権及び冤罪の危険性について配慮することが正義といえるのでしょうか。私たちは大きな疑問を抱いております。
私たちは、時折散見される報道の中で、被害者感情に流されて早急に結論を出すべきではないという意見に対しても違和感を感じております。私たちの願いはただ一点、私たちと同じような悲しみ苦しみを味わっていただきたくない、そして、この世に生を受けて志し半ばで生命を奪われるということがどれほど無念か、生命の大切さをみんなが尊び、殺人という犯罪を一件でも減らしたいと願うところにあります。殺人の時効完成はここ10年、年間30~60件台で推移している現況を憂い、先ずは捕まえて頂きたいという思いと同時に発生しない社会を心から願っております。
以上私たちの思いをお汲み取り頂き、平成22年2月24日、法務大臣諮問機関の法制審議会が答申された内容に基づき、一日も早い法案の成立を切に望みます。よろしくお願い申し上げます。
殺人事件被害者遺族の会・宙の会
会 長 宮沢 良行
代表幹事 小林 賢二