7月8日、昨日姿をあらわすことのなかった主治医のもとへ行った。

「シュウイチく~ん、順番だよ」
「行くよ」

待合室にいると名前を呼ばれた。
隣に座っていたイチエが立ちあがった。

そのときの診察室までの距離は、計り知れない距離だ。

「失礼します」
「はい、どうぞ。座ってください」

ギ~

シュウイチは、イチエとふたり、並んで座った。
診察室の椅子に座ると少し、二人ともお尻が沈んだ。
下を向くシュウイチがデスクに向かっていた主治医の顔を見上げると
目が合った。
即、そらされた。

コイツほんとに医者か!?

シュウイチはまた下を向く。
カルテを片手に持つ主治医はイチエに言った。

「お母さん、なんでもっと早く病院に連れてこなかったんですか。」
「寒ッ…」
「お母さん!!…」

肩を上げたイチエは腕をこすりながら、診察室から出て行った。

…冷房ガンガンに効いてるからな。


その時、織姫と彦星が願い事をかなえてくれた、シュウイチはそう思った。

俺、一人や。



白い心だった。
淋しい。そんな気持ちは、心の0.00000000…1%位あったかもしれないが、
その時のシュウイチに感じ取ることはもう出来なかった。

あたふたした看護師が両手を必死に上下に振っていた
「シュウイチくん、大丈夫よ!寒い???」

「大丈夫や。出ていいか?」

「シュウイチくん後で病室に行くからね」
主治医が言う言葉を振り切るように、シュウイチは出て行った。
実際、全く耳に止めていないだろう。

待合に戻るが、既にイチエの姿はない。



はは。


しんどく体を引きずるシュウイチは、思わず笑ってしまった。
「七夕や…」

何で俺、こんなところにいるんだろうか?
そう思いながら、髪をかきむしったのを覚えている。

シュウイチがいたのは、かかりつけの内科の入院病棟だ。

「おい、俺どこが悪いんだ?」
看護師に聞いたが答えない。

着替えを持ってきた母イチエにも尋ねた。

「悪いのはあんた」

主治医はその日、姿を見せることはなかった。

7月7日。
織姫と彦星が出会える一年でたったの一日

そんな素敵な時間にどうして?

小学校のとき短冊に願い事を書いたことを思い出した。

なんて書いたのかは覚えていなかった。
シュウイチは考えた。

今なら何て書くだろうか。




…『一人になりたい』




その日の夜空には雨が降っていた。
シュウイチは、近所の公園の滑り台に上がると、曇りががった空を見上げた。

「雨降りそやな・・・」

ピシャン。シュウイチの予想は当たる。

やっぱりな

と言いながら、頬を右肩にこすりつけ雨を拭いた。そして、再度、空を見上げた。

「どうして、天気まで俺を縛りつけるんだろう。晴れの日に、ここで青空を見てみたいのに」

小学校のサッカーから、公園にいるときは曇りか夜。
快晴など忘れていた。

雨が強まってきたので、滑り台から軽く飛び降りた。もう慣れたものだ。
そして、降り注ぐ雨から腕を上げ、顔をかばいつつ滑り台の下へ入った。
つい数日前にここの草を抜いたはずの箇所に草が1つ生えている。

「せっかくきれにしてやったのに。すぐ生えやがって。」

やられても、まだ生えるのは俺と似てる、抜くか。

ヨウジ達との待ち合わせに時間があるときのシュウイチの日課だ。
滑り台の下の雨宿りで除草する、ツレにからかわれるが、いい暇つぶしだった。

ふと、手の甲に雨のしずくが落ちてくる。気がつくと、雨は霧雨になっていた。
そろそろやむぞ!
シュウイチは、滑り台の下から走り出し、公園の入り口にある青ののっかり台に跳び乗った。
のっかり台から上を見上げる。

その通り、雨はやみ、空を覆っていた雲は徐々に東へ流れていく。
そしてシュウイチの胸が曇りがかった。
流れる雲を見ると、いつも物寂しい。雲に取り残されたようが気がする、だから自分の心に雲がかかるんだ。

一粒の涙が流れ落ちた。

シュウイチは決心した。

「俺はもう泣かへ。これが最後や。何もかも今日で捨てる」

そう心のホワイトボードに油性ペンで殴り書いた。

今日は一人がいいな。
シュウイチは1人で本通り裏へ向かった。
朝は新聞配達、神殿掃除、寝る。
あれば朝食、気が向けば学校。
夕方は風呂掃除、夜はツレと本通りの裏、これが日課となっていた。

時に、発熱、頭痛はあったが病院で薬をもらう程度、それだけで済ませていた。

この頃には夜のお遊びが、人並みになっていた。
ケイコから始まり、そちらのお遊びは"おねえちゃん"からお誘いも始まる。
女性に関しては要求せずとも満たされていたシュウイチは、友人にそこをつつかれると

「俺様だからな」
「御神さんのちからやろ」

そんなツッコミを入れられていた。

その日は、電話boxの前に名前もしらない子としゃべっていた。
近くにあったバイクで海岸まで行ってテキトーに済ませてきたあとだった。
バイクに、キーが無くとも蹴りつけエンジンをつけることなどシュウイチにはお手の物。
借りた後は、ちゃんと元のイチか近くに返しておいた。

ナカヤマが走ってきた。

「シュウイチ!ヨウジがやられてる」

シュウイチは立ち上がり、「ごめんな」と彼女と伝え、ナカヤマと公園へ向かった。
話によると、先日、やりあったグループにヨウジが1人で向かったらしい。

また、あいつか・・・

あきれつつも、これから一生のツレとなることを分かっていたのか、とくに
ほおっておけなかった。
公園に着くと、シュウイチは表情を一つも変えることなく言う

「ヨウジ、帰るぞ」
「何をいっとるんや!コイツからきたんぞ」

シュウイチは公園にあった、青い自転車を持ち上げ、あちらにあたらないよう投げつけた。
9人中、3人去って行った。
基本的に、喧嘩を嫌うシュウイチは手を出さないこととしている。
やられれてやれば、あちらの気分もすむ。

だが、その日は、ヨウジもナカヤマもいた。
2人と目を合わせた。

「おい、明日にせえへんか。そっち3人帰ったやんか」
「何言ってるんや!」

一番頭にきていた2人を除くと、あちらも冷めていた。
口の上手いナカヤマが冷めているメンバーを連れ出した。
女で解決してくれる。

公園に残ったのは、2人。
そしてこちらも、ヨウジとシュウイチの2人だった。

終わりにするか。

いつもの殴られ作戦でいこうかとしていると、大きな声が聞こえた。

「マサシ!!遅くなった!」

先ほど、去っていた3人だ。
大きなエンジン音と共に、イカツイバイク3台で5人が新たに現れた。
組入りすると噂のメンツだ。実際に組入りしたかは・・・わからない。

「ヨウジ、帰れ」
「え?」

シュウイチは、素直に聞き返した。

「俺でする」

もし、本当に組入りしていれば大事となる。
だが、いつものやり方をヨウジは好まないものの、苛立つ感情は人一倍強い。

「とにかく帰れ言うとくやろ!!」

しぶしぶヨウジは帰っていった。
しかし、どこか近くで見ているだろうことはわかっている。
噂の1人、マサシが出てきた。横にはスコップを片手にするヤツがいる。

「おい。シュウイチ、ここをほれ。」

砂場を指差す。スコップは投げられた。
感じつつもよく分からないまま、ひたすら掘った。

「これくらいでいいか?」
「まだや。」

何人もに囲まれながら、汗だくのシュウイチは堀りつづけた。
1m×2m四方の穴を1,5m掘った。

「そろそろいいか?」
「いいんやないか」
「もっと掘らせてもいいやろ」
「まあ、これくらいにしとこや」

アッチは顔を見合わせ軽い笑いを交し合う。
疲れきったシュウイチは、右手のスコップを支えに座り込んでいた。

「おい、シュウイチ!ここ入れ」

本気か!?こいつらあほや。

頬に汗か涙か分からない液体がながれおちた。
シュウイチは、スコップをその場に置き、穴に入った。
どのような態勢だったのだろうか・・・
脳裏には、連れや仲間兄弟の顔がよぎる。最後に映ったのは、アキラだった。

「こいつあほや」
「ほんまや」

マサシらがスコップや足で、穴に砂を入れる。


シュウイチの体など一つも見えていない。
仕上げに、マサシが地面をスコップでたたきつけた。

「終了~」
「いえ~い」

メンバー3人は、本通り裏に行った。
組入り容疑者5名は、1人スコップを担いでバイクに乗る。
そして、

大きなエンジン音を立てながら、砂場の上を走り、去って行った。




近所迷惑やろ・・



砂の奥から何か聴こえた。


ふと、上を見ると、夜空が目に映った。
星が一つもない


俺、しんだんやろか。
砂場が墓なんて



ヨウジが公園を覗くと、砂場に砂をはたきながら、すわるシュウイチがいた。

ごほごほ・・

咳き込んでいた

「シュウイチ・・」

シュウイチにヨウジの声は聞こえていたが、聴こえぬフリをした。
公園の裏入り口にシュウイチは行く。新聞配達へだ。
姿が見えなくなるのを確認すると、ヨウジは帰っていった。


俺、1回死んだな
「風呂掃除した」

シュウイチは、イチエにそう伝えると親指の先に穴のあいた靴をはき出かけた。
もう、家での夕食はこりごりだった。

イチエも、『節約生活』を覚え、冷蔵庫の残り物を出すようになっていた。
信者様から御神様のお供えとして食物をいただいくのだが、今が食べ時といったときを
遠に超えてから、冷蔵庫・食卓にくる。
また、さほど料理上手でないイチエの膳は、味を覚え始めるこの歳のシュウイチや
姉ミカにとっては好まない。

カレーライスはとろついたもの、キムチが赤く辛いもの、これを知ったのは兄弟みな
20歳をこえてからだ。
家族が多いため、イチエは量を重視する。
カレーは水分が多いのでスープ状だった。
キムチは野菜を足す、更に香味物を再度使おうと食卓に出す前に水洗いをするので、辛くない。
今振り返ると、不思議な食膳だ。
兄弟も学校の給食で味を覚え始めると、食卓を囲む時間は無言になっていた。

シュウイチが向かったのは、いつもの公園。
ジャングルジムの前にタバコを片手に、ヨウジ・ダイキ・ナカヤマがしゃがんでいた。

「待たせたな」
「おせーよ」
「おわびにタバコおごれ」
「ちっ、わかったよ。セブンでもいいか」

シュウイチは、左のポケットに手を入れた。セブンの箱が入っていた。
昨夜、自販機の前を通りがかった高校生くらいの子からダイキと2人でつるんで
お金を払わせ、2箱買った。そのうちの1箱だ。

「ほら。」
「おう。」
「行くか。」

一番年上でリーダー役のナカヤマが立ち上がり、手にしていたタバコの火を踏み消した。
4人は翌日には忘れているくだらない話をしながら、本通の裏へ向かった。

いつも座り込む電話boxが見えてきた。

「先いってろ」

ナカヤマがヨウジを連れてホステス街へと流れていった。
20歳くらいの"おねえちゃん"に、僕ちゃんっぽく話しかけ、
お酒やタバコをねだるのだ。いつものコース。
指名No1の"おねえちゃん"より、ちょっと低めで競争にストレスを感じている人を狙う。

シュウイチはダイキと2人で座り込み、裏の『世間』観察を始めた。
タバコの火を消していると、ダイキが言った。

「おい、そういえばタクヤが組入りしたって聞いたか?」
「ああ、聞いた。お前もするんか?」
「いつかはしようかとも思うんやけど、どう思う?」
「したかったらすれよ。俺はいい。」
「お前には御神様がついとるもんな。はは」
「そうや。組なんていらんわ。けけ」

2人は笑った。

「ゲットしたぞ」

ナカヤマらが戻った。
今日は、かなりOKだったようだ。
2人ともポケットに入っている。

「ついでにカツアゲもしといた」

塾帰りの中学生を見つけたらしい

「あんまりすんな」

シュウイチが言う。
昔から喧嘩を嫌う風習が身に染み付いている一言だ。

「俺も行ってくる」

ダイキが入ってしまった。
1人で行くということは予定があるということ。
どんな予定かは聞かないこととしている。
ろくなことに手を貸したくないからだ。
シュウイチの顔は広がっていた。

他に、特に何をするわけでもないが夜は過ぎた。

そろそろ帰るかな

シュウイチが最後のタバコを消すと、同じくらいの年齢の女の子2人が前に来た。

「シュウイチじゃん!」
「は?」

上を見上げた。
始めは正直誰か分からなかったが、てきとーに会話を交わす。
ナカヤマは手馴れている。いつの間にか、片方の子を連れて去っていた。

「ミカしらへん?約束してたのにこなかったんよ」
「しらね。男じゃないか」
「そう。ところで、これから予定あるん?」

あ、ケイコだ

シュウイチは、名前を思い出した。
2人が知り合いとわかると、ヨウジは手をふった。

「酒のめる?」
「ああ、もちろん」

シュウイチはケイコに酒をおごってもらおうと、付いていった。




翌朝、ふらつきつつも新聞配達を済ませると、神殿掃除をしに家へ帰っていた。
ケイコとすませたことなどどうでもよかった。

「好き」「やりたい」などいう感情はない。
それがあるのは、今回もこれからも相手だ。

だが、それがシュウイチにとって綺麗に言うと初夜だったことは記憶に残っている。
2月2日朝。
近頃は、アキラに蹴られつづけたおかげで時間になると
自然と目が覚めていた。
だが、その日は何をしても起きることができなかった。
身体が重たかった。

「時間だぞ。起きてないんか」
アキラが軽く頭を殴った。
シュウイチの反応が薄いことに気がついたアキラは、
その日は、それ以上何も言わず、起こそうとすることもなく、
部屋に向かった。
なんか言えよ・・・
身体が重く動くことのできなかったシュウイチは、誰でもいいから助けが欲しかった。
気遣いつつも、何もしないアキラの親心は、認めることができない。
「すんまへん、今日は行かれへんかった」
当時、シュウイチは、いつの間にか新聞配達を、させられていた。
しかし、その日は行っていないことに気がついたアキラは、
他人にはなかなかしない謝罪を電話越しにした。
その声は、シュウイチの部屋にも聞こえていた。
離れていたので何を話しているかはわからずとも、ただ、新聞の人、
そして、頭を下げていることは感じ取れた。
申し訳ない・・・
電話を聞くシュウイチは、その思いもあったが、
たまには親だな、人に謝ることもできるんだな、と思っていた。
真の思いと反して生まれる馬鹿にする想いが、いつの間にか勝利している。
「あ。」
シュウイチの表情が曇った。気がついたのだ。

俺だけの、家族の誰も知らない御褒美がもらえない・・・
シュウイチはいつも新聞を配達する最後の家のおっちゃんに
いいものをいただいていた。
「ぼうず、ご苦労さんやな。飲み」
そう言って牛乳やジュースを用意してくれている。
それがシュウイチにとって、笑いたい、そう思える時間だ。
そのご褒美も喜びももらえないとわかったシュウイチは、蹲っていた。
顔を枕におしつけた。
泣いてもごまかせる、そう思った。
その状態は、その日から3日続いた。
アキラが3日目の夜、シュウイチに話しかけた。
「布団敷いた。」
「は?」
「神殿や。今夜はそこで寝るんや。神さんに見てもらえ」
またか。なにかあると神頼み。
病院につれてけよ。あほが
神殿に向かいながら、シュウイチはぶつぶつ言っていた。
ふすまの隙間から、耳かきを両手に耳掃除をするイチエが見えた。
横では、兄弟がテレビを見ていた。
神殿に敷かれた布団に横になったシュウイチは、天井を見た。
面白い模様だな。

重い身体を動かしながら、右を見たり左を見たり・・・
シュウイチは神殿のあちらこちらを見た
寝込むのが5日続くと、さすがのイチエの心も動いていた。

シュウイチの25kgあったシュウイチの体重が一桁台まで落ちたのだ。
「行くよ、おきな」
「お」
連れて行かれたのは病院だ。
初診と言うこともあり、かなりの待ち時間となった。
順番がきたと思うと、血液検査だった。
「1時間で検査結果が出ますから。待合いでお待ちください」
茶色の髪の細身の看護師さんが言った。
いすに座るシュウイチとイチエの目線にあわすよう腰をかがめていた。
優しい声だった。
「お入りください」
看護師さんに呼ばせると、イチエはとっさに立ち上がり診察室へ向かった。
シュウイチは、重たい身体を引きずるようにゆっくりと向かった。
「お座りください」
ドクターは椅子を2脚差し出す。
二人が着席したのを確認したドクターは、目線をカルテにやる。
「お母さん、シュウイチくんは栄養失調です」
嘘だろ!たかが栄養失調でここまでやせるか!
残り物しかないけど朝夕食べてる。
休む前は、給食を昼に食べてたんや。
シュウイチは腑に落ちなかった。
だが10歳のシュウイチは何も言い返せなかった。
イチエもいるし、何より、しゃべる気力、エネルギーが残っていなかった。
イチエは額をかきながら言った
「野菜を食べてますけどね」
「ご飯はしっかり食べさせてあげてますか」
「もちろんですよ」
「そうですか。一応、栄養面、免疫等の薬を処方させていただきます」
シュウイチは、処方された薬を大事に手にして歩き、バスに乗り、帰って行った。
バス停から家までの、帰り道。イチエは言う。
「あんたのせいで恥ずかしい想いさせられたんよ!
風呂掃除が遅いから、食べるものも少ないんや。
いらんかと思ってみんなに食べさせたりした。
早くせんと食べれへんなんて分かり切ったこと!いい加減にしな」
シュウイチは聞くのもままならず、右耳から左耳へと流した。


雨ふってるやん

病院出口に出ると外はどしゃぶりになっていた。
駐車場までの数十メートルで2人はびしょ濡れになっていた。

シュウイチの症状が悪化したのはいうまでもない。

その後も、調子を崩し寝込むことは、何度かあったが、
病院に行くと毎度診断は決まって「栄養失調」だ。
シュウイチはもっと検査してもらうことを願いつつも、
イチエは他の病院に連れて行くことなどするはずも無く、
また自分のバイト代は家へ入る。
無力な俺には何もできないと、栄養失調として処方された薬で我慢した。
いつのまにやら、身体が重いながらの新聞配達は始まっていた。
自分の体ながらも"自分"の体と思うことなく
生活することを覚えてしまっていた。

「きり~つ。礼!」
「さようなら」
夏の日差しが降り注がれる教室。
暑いことを忘れ、4年2組の生徒は元気に挨拶をすませた。
明日から夏休みなのだ。
明日からの楽しみへの期待を胸に秘め、大喜びをする。
その子どもらしさを一番に披露したのはケンイチだ。
「おればあちゃんちいくから」
それに応えるように「私はキャンプ」
俊足マサは鼻下を右人差し指でこすっていた。
「東京ディズニーランド、土産やるからな」
シュウイチは言葉なく鞄を背負った。
夏休み、この期間は一年の中で、シュウイチにとって
いちばん自由がない、そう感じざるを得ないときだ。
またきた・・・1年間ずっと学校があれよ
先生も休みを1ヶ月なんて卑怯だ
俺の身にもなってみろ
いつもの公園を通りがかると、どうしょうもない悔しさ不甲斐なさが
こみ上げていた。

今度、ここで遊べるのは何日先か
帰り道、友達としゃべりつつも、自然と目線は
自分の汚れやぶれかけた靴にしかめがいかなかった
この靴で1カ月やれるんだろうか。
「おじいちゃんアイス買って」
中川商店の前を通りがかったとき、女の子の声が聞こえた。
赤いリボンを頭につけている。
横目で、おじいちゃんにだだをこねる姿を見つめていると、ふと思い出した。
ああ、俺もここでかってもらったことがあるな 
保育園の帰り、母イチエに買ってもらい、ねーちゃんと3人でたべたことを
思い出したのだ
いつから、あんな笑いが自然と出ることがなくなったのだろうか
家が近づくにつれ、シュウイチの足は重くなりペースもおちていた。
気がつくと、友達と5mも離れていた。
玄関を開けると例年通り、おおきなカバンが1つ玄関にあった。
今や毎年恒例だ。
シュウイチが靴を脱ぎ、鞄をよけるようにしきりをまたごうとしたとき、
正面にアキラの姿があった。
風呂上がりのようで、タオルを首からかけていた。
ああ、今日は風呂掃除しなくてすんだ
わかってはいたが、いつものこととしなくていい喜びから素直に喜んだ。
だが、喜べるのは一瞬。
人に喜から苦へ招かれるくらいなら自分でいこう、そう思ったシュウイチは
靴を履き直し、口を開いた
「ばあちゃんち、いけばいいか」
「おお、今夜は梨本のばあちゃんちにいけ、楽しんでこい」
「はい」
置かれていた鞄をシュウイチが手にした。
片手で持つが、何日もの着替えがあり、重たい。
両手に持ちかえるが重たく、持ち上げられでいると、アキラが手を貸した
「重たいか」
右肩に背負えるよう、鞄を持ち上げた。
アキラの優しさを感じた一瞬だ。
「いってきます」
「おう。
 あ、雨がふってきたへんか。傘もっていけ」

「いらへん」

重たい鞄を背負うことで精一杯のシュウイチにとって
片手で傘をさすなど、不可能だった。
「風邪ひくな」

アキラは、毎年、我が子を丸々教主催のイベントに参加させる。
中でも、跡取りのシュウイチには責任者に相応しい心構え
になるまで、
精神に磨きをかけてほしく、多々のイベント行事に参加させていた。
丸々教にふれることで、精神に磨きかかると信じていた。
またシュウイチが期待に応えてくれるそれを信じていた。
「重いよ」
重たいものが多く、シュウイチらしくなく弱音が、音になった。
一休みしようと、公園に到着すると、ベンチに座った。
梨本のばあちゃんちは夜遅くないと行けない。
いないからだ。いや、本当はいるのかもしれない。
ただ、小学生のシュウイチは電気ついたのを見計らって、
インターホンを押しにいく、それしかできなかった。
「きたんか」
「うん、久しぶりやな」
ばあちゃん宅にあがると、ご馳走な粗食が食べられる、それがうれしい。
「ばあちゃん」
「なんや」
「なんでいつもおらへんの」
「いるやないか。飯を作ってまってたんよ。たべ」
「ありがと」
少々濁った湯につかり、身体を温めた。
その晩はぐっすり眠れていた。

翌日、ばあちゃんは言葉ないまま、シュウイチと荷物を車に乗せ車を走らせた。
ついたのは御神様の大御神様の祭られるでっかい建物。
この建物は何を意味するのか、シュウイチは成長とともにわかっていったが、
それと平行して丸々教から心が遠のいていた。
「シュウちゃんいらっしゃい」
いつものおばちゃんが出迎えてくれた。
ここにシュウイチが足を踏み入れると、歓迎される。跡取りだからだ。
だが、歓迎されることはシュウイチは慣れてない。拒否反応を示した。
このときの招きとシュウイチの反応の不釣り合いに、
すでに今後のやりとりの回答が現れている。
この世界で奉仕活動をすることは当然のこと。
すればするほど、人間の幸せを得るからだ。
シュウイチにそれはよくわからなかったが、奉仕活動、中でも
神殿掃除は手慣れたもの。
起床後何も言わずとも毎朝掃除するシュウイチは、皆にうけがよかった。
1週間の奉仕活動を終えると、近くの山で3泊4日キャンプ、
終えると、親戚のような存在に運ばれ隣の県の海岸で4泊5日のキャンプ。
この期間、同世代の子どもと接するが、必要最低限の会話しかしない。
相手を知らないし、知りたい、仲良くなりたいとも思わない
シュウイチは無表情に近かった。
その後は、神殿から毎日、プール教室へ通う。
年によっては、登山にも参加させられた。
気がつくと、毎年8月25日を過ぎている。
今年は、・・・もう27日だ。
夏休みも終わる。去年は9月だったな
こうして、シュウイチの夏は同じことが14歳まで繰り返された。
5月13日、シュウイチの同級生は帰り道、公園に寄ってサッカーが始めた。
「シュウイチも入れよ」「いや、いい。
シュウイチも誘われたが、集団行動を嫌う。
喧嘩をしたくないからだ。
「したくなったらはいれ」
「おう、サンキュ」
1つのボールを大人数で蹴って何が楽しいんだろうか。1人ミスったら言い争いになるやろ。
そう思いつつも、小学生のシュウイチは参加したい想いがあった。だが、したくはない。
いつも観戦役をしていた。
「ケンイチ!!走れ。」
「早く」
「無理だよ。間に合わない」
ボールは俊足のマサにわたった。
一番近くを保守していたケンイチに責任が負わされるが、彼は走ることをどちらかというと苦手だ。
しぶしぶ追いかけるものの実力もやる気もないのだから、追いつくハズが無い。
「イシダ、ゴール守れ!」
公園にいる皆の目線が一つのサッカーゴールと周辺にいるキーパ-イシダ、俊足マサに集中する。
「ひっひ~、ゴール!」
「あ…」
ゴールは見事決められた。
一方のチームは喜ぶがもう一方は。
「守れよ!」
「ケンイチが走れば間に合ったやろ」
「ったく、さえね~。俺帰るわ」
気分の悪いものから徐々に、帰宅した。
残ったのは楽しんでいたマサと、そしてシュウイチ。
マサは夕日が沈み始めたことに気がつくとシュウイチに手を振った。
「また明日な」
「おう!明日もがんばれよ」
「お前こそ、明日は参加しろ」
「じゃ~な」
公園にはシュウイチ1人となった。
手を振ったものの、帰る気などない。帰れるわけがないのだ。
シュウイチは、いつもの滑り台に上った。
今帰っても追い出されるだけや。
シュウイチは父親アキラの食事が済むまで公園にいることにしている。
「お前に見られると旨いもののもまずくなる」
そういって、蹴られ追い出されることが多いのだ。
アキラは1人食卓に向かい、テレビを見ながら食するのが当然。
母親イチエはひたすら家族の食事を作り続けるのだから、会話など交わすことは必要最低限ない。
「そろそろ帰るか」 
沈みかけていた夕日の頭が見えなくなると、シュウイチは滑り台から跳び下りた。
公園から自宅までの帰り道、これほど嫌いな風景はなかった。
もし、早すぎると蹴られ、反対に遅すぎると食べるものなどのこっていない。
痛みに耐えて食を得るか、痛みを避けて食を逃すか…
成長盛りのシュウイチは毎日、辛い選択をしながらこの道を歩いた。
ガラガラガラ…
そっと玄関の戸を開け、そっと閉める。
足音がしないよう廊下を進んだ。
音一つでも、アキラの機嫌を損ねることがあるのだ。
このころのシュウイチは、その辺のこそ泥より、物音を立てないことは勝っていた
あいつ、食事すんだな
シュウイチは、ふすまの隙間から、タバコを片手にテレビに目を向けるアキラの姿を見た。
痛みは無い、それがわかると一安心したようで、忍び足が劣っていた。
食事が残っていることを願い台所へ向かった。

イチエ、兄弟らが食卓を囲んでいた。
「ただいま」
俺も家族の一員だから…
その思いを胸に、声を出した。
シュウイチの声がすると、戸惑いつつも手前に座っていた一番下の妹サキが後ろを振り向きシュウイチと
目を合わせた。
兄弟の中でも、一番話すサキ。
そのサキに振り向かれたことがうれしい反面、情けなく感じた。
「サキ!前を見て食べなさい」
イチエに言われ、とっさにサキは前を向く。
「あんたは、みんなが終わるまで外にいなさい」
そう言われ、玄関へ向かっていくシュウイチは下を向いていた。
胸に沸く悲観、怒りの混ざり合う思いを押しつぶすように肩にから全身を硬直させていたのだ。
「シュウイチ!お風呂掃除まだだから」
うるせーな!
心で大きな声で叫びつつもシュウイチは風呂場へ向かう。
裾の破れたズボンを膝までまくり上げ、袖を肩まで上げるとシュウイチはブラシを手にとった。
こみ上げる感情をブラシの先におくっていたようで、いつの間にか、早々と片づいた。
「できた…」
きれいになり、蛇口をひねるシュウイチは満足していた。
こんなきれいな風呂につかってみたい
シュウイチはいつも、アキラを先頭に、爺さん婆さん、イチエ・兄弟4人、お手伝いさんら
皆が入浴をすませた後に入ることとなっている。
夏であろうと冬であろうと、シュウイチが入れた湯は水に近いぬるま湯になっている。
何人も、多いときは10人以上入った後の湯なのだから、濁っているのは当然だ。
一番風呂に浸かることが一つの夢となっていた。 
あいつらの食事がすむまで時間をつぶそう、シュウイチは公園に戻りブランコに腰をおろした。  
一番風呂その夢が叶うことを祈りながら星の見えていない星空を見上る
「起きろ!」

12月6日、朝5時。
声と共に、腹部に強烈な痛みが、肌寒く布団に潜り込んでいたシュウイチに走った。

また蹴りやがって!

シュウイチは腹部を押さえた。本当なら、このまま寝ていたい、眠いし痛い。
だが、起きないと同じことして起こされる。
シュウイチはしぶしぶ起き上がり、布団をたたみ、押入れに押し込む。

起床時刻になると、父親のアキラが痛みで目を覚ましてくれるのだ。

今日は蹴り、明日は肘打ちだろうか・・・。どっちにせよ、昨日の木棒に比べればましだ。
腹部を押さえる自分を宥めながら、廊下へ出た。

「起きたか。さっさとしろ。任せたぞ」

起床後、に必ずすることがある。掃除だ。
シュウイチの家系は丸丸教を信仰する。
その日課の一つ、毎朝の御神様の神殿掃除がシュウイチの仕事だ。
というより、御神さんの仕事は、兄、兄、姉、シュウイチ、妹、弟、妹と兄弟はたくさんいるものの
ほぼシュウイチがやりこなす。
なぜなら、兄は2人とも、1人は車に押しつぶされて、もう1人は誤って河に落ち、他界している。
そのこともあり、”跡継ぎ”の2文字がシュウイチに回っていた。

だが、まだ9歳の少年にとって、御神様の仕事は『させられること』でしかない。
当時のシュウイチは、詳細はわからずとも、その重すぎる責任が圧し掛かっていることを感じつつあったが、そのものは生活の苦痛に押しつぶされていた。

「さみい!」

肌シャツに長袖一枚では耐えることの出来ない気温だ。
だが、服のないシュウイチは耐えざるをえない。 体を動かすことで紛らわすしかなかった。

掃除を終えたのは、6時。
まだ幼い彼にとって、御神様の神殿をほうきではき、水ぶきし、乾いたころを見計らっての仕上げの乾拭きをすることは、冬であっても仕上げの頃には汗が出るくらいだった。