持ち家があっても自己破産できたのは不幸の連鎖のおかげ?
いまは賃貸住宅ですが、
かつて私も家を持っていました。
自己破産する16年前
に35年ローンで
購入しました。
ここまでブログで
ほとんど触れてきていないのですが、
その頃結婚していました。
結局借金したりだの、
失業したりだのが
続いて愛想を尽かされ、
離婚となったのです。
持ち家や離婚と債務整理って
結構同時に背負う方も多いと思うので、
今日は私のその辺の顛末を
お話してみましょう。
20年以上勤とめあげた会社も
リストラされ、
再就職した会社もたったの3カ月で倒産。
その間にリーマンショックで、
どこにも就職できない
「長期失業者」
になったことは、以前書きました。
ずっと隠していた借金のことも、
失業で収入が経たれている状態では
妻に言わないわけにもいきません。
今日は言おう、
いや明日言おうと迷いに迷った挙句、
とうとうある夜、
それを切り出しました。
「話があるんだけど・・・」
と彼女を居間からベッドルームに呼び出し、
「実は●●百万円、借金作っちまって・・・」
と切り出すと、
みるみる妻の顔が困惑と怒りの顔に
変わっていくのは覚えているのですが、
その後の詳細はすっかり記憶が消えてしまっています。
眠れない夜が、さらに眠れない夜になり、
次の日以降、
妻の持っているエネルギーのほとんどは
私への怒りに変わりました。
失業したうえに借金まであって・・・
日中は
仕事探しやアルバイトであることが
ほとんどだったのですが、
帰ってくると針のむしろです。
夕食は作ってはくれましたが、
冷めたそのお膳は
いつも私の帰ってくる玄関に置かれていました。
「居間で食べるな」ということなのです。
おそるおそるキッチンに行き
電子レンジで温めてから、
玄関や自分の部屋で食べました。
顔を合わせれば
「借金どうするのよ」
そのうち
「できれば消えてほしい」
「生命保険にかけるお金があるうちに死んでほしいわ」
そのうち私は心身に不調が出てきました。
度重なるストレスによるもので
当然と言えば当然です。
私の実家には老親が健在でした。
事情はすべて知っていて、
しきりに実家に帰ってくることをすすめてくれました。
私は逃げるように実家に帰りました。
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