こんな与太話はノートの切れ端にでも書いておけばいいのだろうけど、なにせ心がグルグルして眠れないので、殴り書きをしたい。

 

 

 

……

 

 

 

 もう日付は変わったが、私にとって七夕は、心中穏やかでは居られない日だ。

 

 

 

 私が過去に付き合ってきた中で、一番長く付き合い、そして一番好きだった元カノIさんの誕生日なのだ。

 

 

 

 Iさんは、とても愛情深い人だった。

 自惚れているわけではなく、本当に私のことを大事に思ってくれていた人だった。

 

 

 

 もちろん、私自身も、Iさんのことが好きだった。

 私が人生において一番苦しんでいた時期から約10年間に渡り一緒に居てくれた、かけがえのない人だった。

 

 

 

 そんなIさんのことを、数年前の私は自分から振った。

 理由は、Iさんがやりたいことを、私では叶えてあげられないと思ったからだ。

 

 

 

 Iさんは、私とずっと結婚したがっていた。

 

 

 

 周りの友達が結婚を決めていく中、当然焦りもあったのだろうし、何より子供を欲しがっていた。

 

 

 

 

 けれど…私には、結婚や子供を持つということに関して、どうしてもプレッシャーが大きすぎた。

 

 

 

 

 結婚や子供を持ったら、絶対に、その後ずっと仕事を続けなければならない。

 

 自分の体調が悪くなっても、事務分担の変更で自分と畑違いの仕事を任されて途方にくれても、行くのが死ぬほど嫌な空間だったとしても、仕事をおいそれと辞めるわけにはいかなくなる。

 

 

 

 それが、どうしても怖すぎた。

 

 

 

 仮に死ぬにしたって、妻と子供まで不遇な目にあわせることになる。それを、考えただけで恐ろしかった。Iさんを、不幸にしたくなかった。

 

 

 

 Iさんは、別に専業主婦になりたかったわけではない。

 私がこの先働きたくないのをIさんも知っていたので、仮に結婚したとしても、Iさんは仕事を辞めるという選択肢はもっていなかった。

 

 

 

 ただ、私にも、別に転職をしたって年収が低くたっていいから、何かしら働いて欲しいということは言われていた。

  当然の要求だろう。

 

 

 

 しかし当時の私は…いや、今の私でも同じだ…とにかく、労働から解放されたかった。労働ということに割く労力・時間・苦痛、それらを一刻も早く無くす方向にいきたかった。

 

 

 

 そう。

 私は、Iさんを不幸にしたくないなどという恰好付けたことを建前にして、単に、自分のやりたくないことをしたくないという我儘の方を大事にしてしまっただけだ。

 

 

 

 これについては、この思考が堂々巡りをしている今になって考えても、仮に過去のIさんに別れ話を切り出すあの瞬間に戻れたとしても、1度めの私が選んだ選択肢以外の行動をとってみせると、強く言えるような自信はない。

 

 

 

 

 …

 

 …

 

 

 でも、あの別れた日から、ずっとIさんを思い出してしまう。俺から振ったくせに、マジで自分自身がうざい。

 

 

 

 思い出すといっても、恋焦がれているような感情ではなく、何といえばいいんだこの気持ち、とにかく胸が苦しい。Iさんを思い出す都度、気が付けば険しい顔になっている。

 

 

 

 

 

 付き合っている最中、Iさんから言われた言葉はどれもこれも、とても温かかった。

 

 私はIさんの前では素のポンコツぶりを発揮していたため、Iさんと一緒に居るのはとても心地よかった。

 

 

 

 「ポォンコツ~」

 

 

 「あとさ、60年くらいしか一緒に居られないんだから、もっと一緒に居ようよぉ」

 

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 本当に大好きだったんだ。

 

 

 

 嘘じゃない、本当に大好きだったんだ。

 

 

 

 私がまともな感性や、一般的な能力等を持ち合わせられてさえいれば、少なくとも、あの時のIさんの希望を、1度は叶えてあげられたハズだった。

 

 

 

 

 すべては、私が悪い。

 

 

 

 

……

 

 

 別れ話をした時の、Iさんの一挙一動も忘れることが出来ない。

 

 

 

 取り乱したり声を荒げたりなど少しもしなかったけど、「あんなに、一緒に楽しかったのに」って、絞り出すように言ったあの…あの時の、君のことが。

 

 

 

 

 

 

 

 別れてから数カ月、一切連絡を取らなかったけど、ある日Iさんから連絡がきた。

 一緒に、桜を見に行かないかと。

 

 

 

 私は、迷ったけれどIさんと桜を見に行った。

 

 

 

 付き合っていた時は、何年も、そうやって一緒に桜を見に行くのが習慣だった。Iさんの作ったお弁当と、小さな御座を持って。

 

 

 

 Iさんは、心の整理をするためにも、あえて、あの時間が必要だったんだろう。

 

 

 

 Iさんと一緒に見た桜は、例年と同じくとても綺麗だった。

 

 

 

……

 

 

 

 その後も、何回かIさんから連絡があり、一緒に軽く出掛けたり、ご飯を食べに行ったりした。

 

 

 

 復縁の話をしたわけではない。ただ、仮に私から復縁を持ち掛ければ、多分また付き合っていたのだろうと思う。

 

 

 

 あの時間は、Iさんの心の整理のためにも必要だったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 そして、別れ話をしてから約1年程が経過した頃には、Iさんから連絡がくることもなくなった。

 

 

 

 当然、それでいいのだ。

 

 

 女性の切り替え力は半端じゃない、Iさんが遠からず前を向いていけるのは分かりきっていた。

 

 

 

 私こそ、こんなことを言う資格など少しもないのだが、Iさんには宇宙で1番幸せになって欲しい。

 

 

 

 私は、自分自身が、普通のことを普通に出来る人間なのであれば、私こそがIさんと一緒に居たかった。

 でも、どうしてもそれが出来なかった。

 

 

 

 私から、不義理を受けたIさんだからこそ、絶対にぶっちぎりで幸せになってほしい。あんな良い女性は、稀だと思う。

 

 

 

 まぁ、仲の良かった時期に別れてしまったから余計そう思ってしまうのだろうけども。…ただ、10年近く一緒に居ても、ずっと変わらず好きだったんだから仕方ない。

 

 

 Iさん。

 

 

 

 

 

 

 Iさんと連絡を取らなくなってから幾分年を重ねたというのに、未だに心がざわざわとする。

 

 

 

 先程も書いたが、恋焦がれるような気持ちではない。

 

 だからこそ、自分自身でもこの気持ちがなんなのか、どう処理していいのかわからない。

 

 

 

 別れた男など他人以下なのは重々承知しているし、大体、Iさんと連絡をとりたいというわけでもない。

 

 ただただ、このどうしようもない気持ちに、いつまでたっても折り合いがつかない。

 

 

 

 七夕…Iさんの誕生日だった昨日、ずっと心臓がうるさかった。

 今もうるさいし、寝られない。

 

 

 

 強く生まれられなくたっていい、仕事が出来なくたっていい。

 

 

 

 …けど、1度しかない人生で、自分に100%の好意を向けてくれた素敵な女性の、貴重な時間を奪うだけの存在の男になんか、なりたくなかった。

 

 

 

 ごめん。

 

 

 

 

 

 軽石より脆く、ヘリウムガスより軽いごめん。

 何からでも逃げる私という人間に、心底嫌気がさす。

 

 

 

 過去記事でも書いたが、私は発達障害持ちで、回避性人格障害という診断を受けたこともある。

 

 

 

 けど、それがどうした。

 だからなんだってんだよ関係ねぇんだよこの糞馬鹿野郎が。

 

 

 

 文書も思考も支離滅裂だ。

 

 

 とにかく、苦しくてたまらない。