明るい気持ちになりたい。
過去記事にしているとおり、別に生活に困ってるとか、自分自身が切迫しているような状況というわけではない。
日々、のんびり過ごし、ほんの少し運動し、ほんの少し美味しいものを食べる。「安息」を感じる日々を過ごしている。「安息」こそが、私が長年求めてやまないものだった。
聞く人次第では、この安息を「贅沢」と指摘されそうなことでもあるが、私はあえて、この程度の生活様式くらいは「当然」と言いたい。
苦労など、今まで生きてきて、散々してきた。
幼少期~学生時代まではいじめや家庭問題でずっと悩んでいたし、社会人になって以降も己の不出来や転勤によるストレス等で心身共に追い詰められながら、日々を過ごしてきた。
社会人になって以降なら約20年、生まれてからなら約40年。手に入る人ならいともたやすく手に入る「安息」を手に入れるために、こんなにも時間がかかった。
しかも、自力だけではなく、大いに他力も拝借してだ。
なにせ私はヒモスネップ。そしてこの先も、どんな風に転ぼうとも、決して自分だけの力で道を切り開いていこうとなど思わないだろう。
…
……
さて、安息さえ手に入れば、私は自分が…今までの生きてきて苦しかったことが、何か報われるんじゃないかと思っていた。日々の大部分を占めていた仕事を続けること等に対する大きな不安感等から解放されたし、毎日いつまで寝てたっていいのだ。
ただ、実際は、思ったほど明るい気持ちにはならなかった。穏やかに過ごせていることが何よりだが、明るく楽しい気持ちとは全然種類が違うものだ。
要因の大部分は加齢による様々な変化だ。
自分自身も、身内も。
自分自身について言えば、自由恋愛を気軽に楽しめるような容姿や元気等を失ってしまったなと思うし、身体の状態も日々少しずつ劣化を感じる。
そりゃそうなのだ。
生まれてから今まで、とても長い時間をかけて、身体の様々なパーツは経年劣化してきた。今まで平気でいられたのは、経年劣化しつつも各パーツがポンコツになりながらも何とか稼働していたからなのだ。
それゆえ、経年劣化した部分がついに故障し、怪我や不調となり、身体の外へあらわになる。若い時にこんなこと起こらなかったよな、とショゲ返りそうになるが、そんなもの当然だ。
むしろ、40年近くも、よくもった方だろう。いつだって私に寄り添ってくれていた自分の身体・臓器等の各パーツに感謝する。
身の回りの人も不調が増えた。
病院通いになった人。入院した人。施設等に入所した人。
皺も増えたし、歯が抜けたりした人もした。ボケてしまった人もいる。
もし私が今の生活を20代の頃に既に手に入れていたのなら、毎日絶好調で生きていたのだろう。だいぶ遅かったな。
安息は好きだ。穏やかで、健康であれば絶対に間違いはない。…ただ、こんなことわかりきっていたことだが、人生には色んなことに対してタイムリミットがある。それも、人によってタイムリミット時期は異なる。
寿命ではなく健康寿命が実質的なタイムリミットだったり、脳のホルモンバランス的に心底無茶出来るのは恐らく30歳頃までがタイムリミットだったり。
失ったものを嘆いても仕方がない。
日々劣化していくことを受け入れたい。
こんな私の、これっぽっちも大したことのない性能の身体や外見でさえ、やはりそこから更に劣化するのは悲しいことなのだ。
嘆くより、受け入れたい。
自分の気持ちの整理を他人に委託するのではなく、自分の機嫌など自分でとれればいい。
気持ちの整理整頓が下手なりに、頑張って生きていきたい。