引き続き八女の親子の傷害致死事件についてです。
広島に仕事にきていた被告人は、会社の同僚に現在の妻を紹介して貰います。以下、論告。
「私は妻を最初に見た際に惹かれるものがありました。妻も私を見た際に感じたものが在ったようで、私と妻はお互いに惹かれあい、交際するようになっていました。
そのころ私は、会社に寮があればそこに住み、季節工として赴任先で寮が無い場合はテントに住む暮らしをしていました。私と妻は貧しい生活ながら、楽しい暮らしをしておりました。
そのおり、沖縄にいこうという話になり、ヒッチハイクで沖縄に行くことになりました。
サービスエリアに止まったり、テントですごしながら鹿児島までやってきましたが、沖縄に渡るフェリー代がなく、鹿児島で一月、過ごしました。
鹿児島で過ごしている間に、私は妻といままでのことや、自分の経緯を話しました。父が農業していること、やさしい母がいること、妹や祖母など家族のことを話しました。
しかし、母のヒステリーや父がそのことについてうまく家庭をまとめられていないことは反していませんでした。私は家族の理想像を話していたように思えます。
そうこう話しているうちに、私は故郷の町に帰りたくなってきました。そして、沖縄に行くことをあきらめ、故郷の福岡に帰ることにしたのです。
以上、証拠8番。嫁に会った経緯と実家に戻った経緯が語られています。
ここから実家に帰った被告は、家族に妻を紹介して「かなりびっくりされた」と供述しています。
実際に自分の息子が22も年上で、自分たちと同じくらいの嫁を紹介されたらびっくりしますね。
その後、被告人は妻と実家の農家を手伝っていきます。その中で母のヒステリーが炸裂し、徐々に母と妻の仲が悪くなっていきます。原因はささいなことでして、
家業の筍の収穫を父・祖母・被告・妻と手伝いの方の5人で行っていたが、母ひとり留守番を任されたから、のけ者にされたと感じた。
だ、そうです。そんなまったくの言いがかりの話で、母は妻と祖母に対して陰険な態度を取るようになり、不仲になっていったそうです。
ほかにもいろいろと経緯が語られますが、ここでは中略し、問題を解決しようとした被告人は「家族会議で問題の解決を図ろうとします。
このことがきっかけで、被告と妻は家を飛び出すことになります。
主に母の無駄使いを快く思っていなかった被告は、母の無駄使いや、現在4台ある車に妻と自分の分を買い足すという父の金銭感覚を議題に上げ、家族の無駄をなくそうと提案します。
(出戻りの借金抱えたドラ息子のクセして、親が自分の金で物を買うのが許せなかったようです)
母の韓国旅行や、7人乗りのボックスカー、プラズマテレビなどなど、母一人のわがままでいろいろ買うことを咎めたですが、母の逆襲に遭います。
逆襲っていっても、ただ逆切れしてわめきちらしてヒステリックに叫んで「家出する!」といっただけですが。。
そのことを仲裁した被告人の妻に、八つ当たりで妻に罵詈雑言をはき捨てます。こうなるともう女の戦いですね。
出ていけと言われて妻は荷物をまとめ始め、被告もそれについていくことを決意し、また二人そろって家を出て行くことになり、無宿暮らしに戻ってしまいました。
やっと事件の1年前まで論告の概要を書くことができました。このあと、事件への経緯が続き、情状証人である妻の証言までで水曜日の裁判はおしまいでした。
この被告人、とにかく「無計画」で「周りに流されやすい」性格をしているくせに、家族には自分の理想像を押し付けてきます。責任は他人のせいにするくせ、自分の責任を取ろうとする意思が、年齢の割りに欠けているように思えます。
沖縄にいくにしろ、就職先で周りを羨んで転職するにしろ、自分の配慮のなさが招いた結果ではないか?という無責任感が垣間見えるのですが、さて、この裁判、どうなっていくのでしょうか?
まだまだ続きます。次回は事件の起きた経緯と状況です。