八女市の父親に対する傷害致死事件、新聞にはまったくといっていいほど載っていませんが、判決は懲役3年執行猶予4年の判決でした。


判決自体は見にいけなかったのですが、テレビで裁判員裁判に関して報道する際に確認できました。


さて、今回の事件。検事側は

父親の顔面を全力で殴るという凶悪性や、呼び出して一方的に絶縁宣言するなど、被告人は身勝手で、また今までの経歴から堪え性のない、非常識な行動が多く、

情状の要素や事情を鑑みても、刑務所で罪を償うのが妥当

ということで、懲役6年を求刑しています。


これに対し、弁護側は

被告が父親の顔面を殴ったこと自体は傷害罪となるが、今回のようにまさか1回の殴打で死に至るケースは珍しく、あくまでも死んだ理由は後方への転倒からくる脳挫傷である。もしこれが畑や家などの違う場所であったら今回のような事件に発展したとは考え難い。よって、傷害に対する凶悪性を問うべきであり、その観点から見てもたった1発の殴打では凶悪性は見られない。

また被告人は倒れた被害者に対して救急車が来るまで介抱を行っており、計画的に殺そうとしたとは考え難い。

そして、被告に対して被害者の父親の親族や家族から減刑の嘆願書が出ている。被告人の早急な社会復帰を望んでいる。

と、いうことで裁判官に執行猶予が妥当ということを訴えていました。



結果自体は最初に述べた 執行猶予4年懲役3年というものでした。


今回の裁判、検察側も事情を考慮してかせめる気が感じられず、被告人の生い立ちや、情状証人の証言が見せ場でした。

裁判員裁判の案件として、裁判員でも納得しての執行猶予の判断だったと思われます。


 引き続き八女の傷害致死事件についてです。

両親と喧嘩して家を出た被告と妻は、知人の助けもあり山小屋で生活をしていきます。両親とも知り合いらしい知人の助けで、被告人は農業を続けることができます。


山小屋の周りに畑を耕していたようで、それを知人に聞いた父親は、息子の様子を見に来ます。畑を見て、耕作具合に不安を感じたんでしょう。被告人に「畑はここで大丈夫か?」などの農業についてのアドバイスを行っていきますが、被告人はすでに父親からのアドバイスを聞く耳はなく、そのアドバイスも「父親が不安を煽っている」としか感じないくらいに疑心暗鬼になっていました。


そんなやさしい父親が被告人の息子の知人に、米や野菜を「息子に」と託していきますが、当人自身、「なんで自立しようとしている俺に、米や野菜を置いていくんだ。迷惑だ。自立しようとしている息子の邪魔をしようとしている」と供述しています。


よくわかりませんが、この被告人、「親心」というものを理解できないようです。


そして、父親が再度来た際にそういったことの不満を父親にぶつけ、口論になります。その際に、父親は被告の妻に関して「50近い女がヒステリックに叫ぶなんておかしい、精神異常者ではないのか?」という旨の発言をしてしまいます。


父親も自分の妻がそういう状態であるにもかかわらず、息子の妻をうっかり罵ってしまうあたり、なんかおかしいなぁと思うのですが、ココの家庭の方、どうも「自分に駄々甘く、他人に厳しい」傾向があります。


そんなちょっと考えさせられる家庭ですが、父親は出て行った息子が心配だった気持ちは本物だったように思えます。

そして、被告と妻が近くの農家に手伝いに言った際に、母親が息子の妻に関していろんな悪口を言いふらしていることを知ります。


このことを知った妻は、「町を出て行こうか」と迷うようになります。その様子を見て、実家との縁を切ろうと考えます。


そして運命の10年4月1日、父親を喫茶店に呼び出し、「もう俺たちには構わないでくれ」と絶縁宣言をして、そのセリフを最後に店を出ます。これを聞いた父親は「もう息子に遭えないかもと思い、息子を追いかけ、手を掴み口論になります。


謝る父親に被告は何か気に障ることを言ってしまい、口論になったようで父親は被告の妻に関して「精神病じゃないのか?」と再度、暴言を吐いてしまいます。


そのことを聞いた被告は激昂し、父親の左の頬の辺りを右手で殴りつけました。

顔面に直撃を食らった父親は受身も取れず、駐車場のアスファルトに後頭部を打ちつけ、そのまま気を失っていまします。


その様子を見て、被告は「やりすぎた」と思って父親の介抱を始めますが、かなり打ち所が悪かったのでしょう。後頭部打撲から脳挫傷になっており、懸命の介抱にかかわらず目を覚まさない父親を見た周りの方が救急車を呼びますが、運が悪く、父親はそのままなくなってしまいます。


そして被告人は警察にその場で捕まり、今回の裁判になってしまいました。


以上、9号証拠までの被告本人の調書です。ところどころ、記憶違いや、省略した部分もありますが、事件の経緯です。


今回の裁判員裁判ではとにかく「検察の出した証拠が少ない」です。わずか12号までしかありません。残り3つにしてもたいした証拠ではなく、裁判官も認めるが、採用はしないとの旨で裁判は結審を迎えます。


その間に、情状証人として弁護側が被告の妻を出しています。特に内容のあることは証言しませんでしたが、年齢差があるにもかかわらずしっかり被告を愛してることを述べていました。


証人が来た時点で「出落ち」なんですが、家族のいさかいの原因は妻と母親でありましたので、ここを見れなかったのが残念です。


結局、検察は懲役6年を求刑します。


さて、この裁判。争点は「被告の反省の有無」「傷害致死に至ったが、計画性や残忍性があったか?」「怨恨によるものであったか?」などがポイントになってきます。


殺す気があったか?


この点をうまく弁護できるかで、執行猶予がつくかどうかの裁判なんですね。弾みで殺してしまったと見てても判りますが、裁判ではそのことを証明しないといけません。


次回、八女の事件についての最終回。弁護と判決です。

引き続き八女の親子の傷害致死事件についてです。


広島に仕事にきていた被告人は、会社の同僚に現在の妻を紹介して貰います。以下、論告。


私は妻を最初に見た際に惹かれるものがありました。妻も私を見た際に感じたものが在ったようで、私と妻はお互いに惹かれあい、交際するようになっていました

そのころ私は、会社に寮があればそこに住み、季節工として赴任先で寮が無い場合はテントに住む暮らしをしていました。私と妻は貧しい生活ながら、楽しい暮らしをしておりました。

そのおり、沖縄にいこうという話になり、ヒッチハイクで沖縄に行くことになりました。

サービスエリアに止まったり、テントですごしながら鹿児島までやってきましたが、沖縄に渡るフェリー代がなく、鹿児島で一月、過ごしました。

鹿児島で過ごしている間に、私は妻といままでのことや、自分の経緯を話しました。父が農業していること、やさしい母がいること、妹や祖母など家族のことを話しました。


しかし、母のヒステリーや父がそのことについてうまく家庭をまとめられていないことは反していませんでした。私は家族の理想像を話していたように思えます。

そうこう話しているうちに、私は故郷の町に帰りたくなってきました。そして、沖縄に行くことをあきらめ、故郷の福岡に帰ることにしたのです。


以上、証拠8番。嫁に会った経緯と実家に戻った経緯が語られています。

ここから実家に帰った被告は、家族に妻を紹介して「かなりびっくりされた」と供述しています。


実際に自分の息子が22も年上で、自分たちと同じくらいの嫁を紹介されたらびっくりしますね。


その後、被告人は妻と実家の農家を手伝っていきます。その中で母のヒステリーが炸裂し、徐々に母と妻の仲が悪くなっていきます。原因はささいなことでして、

家業の筍の収穫を父・祖母・被告・妻と手伝いの方の5人で行っていたが、母ひとり留守番を任されたから、のけ者にされたと感じた。


だ、そうです。そんなまったくの言いがかりの話で、母は妻と祖母に対して陰険な態度を取るようになり、不仲になっていったそうです。


ほかにもいろいろと経緯が語られますが、ここでは中略し、問題を解決しようとした被告人は「家族会議で問題の解決を図ろうとします。

このことがきっかけで、被告と妻は家を飛び出すことになります。


主に母の無駄使いを快く思っていなかった被告は、母の無駄使いや、現在4台ある車に妻と自分の分を買い足すという父の金銭感覚を議題に上げ、家族の無駄をなくそうと提案します。


(出戻りの借金抱えたドラ息子のクセして、親が自分の金で物を買うのが許せなかったようです)


母の韓国旅行や、7人乗りのボックスカー、プラズマテレビなどなど、母一人のわがままでいろいろ買うことを咎めたですが、母の逆襲に遭います。


逆襲っていっても、ただ逆切れしてわめきちらしてヒステリックに叫んで「家出する!」といっただけですが。。


そのことを仲裁した被告人の妻に、八つ当たりで妻に罵詈雑言をはき捨てます。こうなるともう女の戦いですね。


出ていけと言われて妻は荷物をまとめ始め、被告もそれについていくことを決意し、また二人そろって家を出て行くことになり、無宿暮らしに戻ってしまいました。


 やっと事件の1年前まで論告の概要を書くことができました。このあと、事件への経緯が続き、情状証人である妻の証言までで水曜日の裁判はおしまいでした。


 この被告人、とにかく「無計画」で「周りに流されやすい」性格をしているくせに、家族には自分の理想像を押し付けてきます。責任は他人のせいにするくせ、自分の責任を取ろうとする意思が、年齢の割りに欠けているように思えます。


沖縄にいくにしろ、就職先で周りを羨んで転職するにしろ、自分の配慮のなさが招いた結果ではないか?という無責任感が垣間見えるのですが、さて、この裁判、どうなっていくのでしょうか?


まだまだ続きます。次回は事件の起きた経緯と状況です。

 まだ新聞記事になっていませんが、福岡県八女市で起きた息子が父を殴って死んだ事件の裁判を見てきました。

 この事件、上の字面では「たまに聞く程度の事件」なんですが、思ったよりもかなり深い事件でした。


まず、暴行致死ではなく傷害致死。この点が1点

 被告人は酔った父親に自分の嫁のことについて罵倒されたことに腹を立てて父親の左の頬を右手でを殴って、父親がその殴打で転倒。後頭部を打撲し、その打撲が元で死んでしまいました。

 大変判りやすくいうと、「火曜サスペンスドラマ」で相手を軽く押したら後頭部を打って死んだ場面が一番当てはまります。

 検察側が出した証拠には「右こぶしの傷1.4センチ」というかすり傷が所見されているのですが、拳で1~2発殴った程度で派手に後ろに転んでしまい、この悲劇となったようです。


 次にその父親が罵倒した妻49歳。被告人27歳と実に22歳の年の差があります。

 

 この点こそがこの裁判の最大の注目点です。


 事件の概要自体は「殺意自体はまったくといっていいほど無かった」と思われますので、検察もそこまで被告人を責める気がなさそうな雰囲気であり、若手の男女の検察官が来ていました。女性のほうは検察のなかでもかなり若い部類に思えます。


 事件に至る経緯として、被告人が検察や取調べの警察官に吐露した調書が証拠として読み上げられる場面をちょうど傍聴できました。


 以下、被告人の告白の部分です。


「私は八女市に生まれ、これまで事件を起こしたことはなく、前科もありません。20のときにダイエーホークスが優勝した際に中州の橋から全裸で飛び込んだことで補導されたことはありますが、それは特に陳述することではありません。

子供のころから母親がヒステリーを起こすことがあり、父と不仲でした。父も母がヒステリーを起こすときはなにも言えませんでした。そのことで父は深酒し、愚痴を言い、それを聞いた母がヒステリーを起こして、家出をして家庭が険悪になることが多々あり、私は早く家を出たいと考えるようになりました。


中略 父親の仕事の農業や、母の実家について


20のときに服飾の専門学校に通い始め、卒業してからキャナルシティのアパレル関連に勤め始めました。東南アジアの服飾を扱う店で、そこで一緒に働いていた会社の同僚たちはみんな、外国に言った経験があり、私も『海外に旅に出たい』と思うようになっていきました。しかし、費用アパレルに勤める私の安月給では海外に渡航するを費用を稼ぐのは難しく、転職を考えるようになっていました。


そのことを母に話し、『転職を考えている』と相談すると、母は星野村で祖母がやっていたラーメン屋の跡地を改修して居酒屋を開くことを持ちかけてきました。


今にして思えば、これは私を利用しようという両親の思惑があったように思えます。


母方の祖父母は既に働いておらず、星野村に住む叔父や叔母も病気でままならない状態にあり、私を面倒見として星野村にやったと思います。

家族の利己的な思いと、私の仕事に対する甘さで始めた居酒屋は半年足らずで経営が苦しくなり、また開店する際に消費者金融や友人からかりた150万円が重しになり、店をたたみました。


私自身、居酒屋の経営なんて経験も無ければ料理もできなかったので、自身の考えの甘さが招いた経営破たんだと自責の念に駆られ、鬱々とすごすようになりました。


そんな思いから家を出ようと決めた私は、季節工として勤めるとようになり、北は北海道で牧場の手伝いや、南は沖縄でサトウキビの刈り入れと働き、テントや寮で暮らすようになりました。


そんな折、広島に働きに来た際に、今の妻と出会ったのです。


以上、証拠番号7番(だったかな?)長くなりそうなので、次回に続きます。

8番9番は妻との生活や事件に至る経緯が引き続き被告人から語られます。

今、長浜で骨肉の争いをしている元祖長浜家に行ってきました。


場所は http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&um=1&ie=UTF-8&q=%E5%8D%9A%E5%A4%9A%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E5%85%83%E7%A5%96%E9%95%B7%E6%B5%9C%E5%AE%B6&fb=1&gl=jp&hq=%E5%8D%9A%E5%A4%9A%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E5%85%83%E7%A5%96%E9%95%B7%E6%B5%9C%E5%AE%B6&hnear=%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E7%9C%8C%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E5%B8%82&ei=9yRkTOXDMIGEvgPBlameCg&sa=X&oi=local_group&ct=image&resnum=4&ved=0CCsQtgMwAw


上記のURLで地図がでますが、ここのラーメンは基本的に「作りがいっしょ」です。値段もほぼいっしょ。

ただ13:00までしか営業していない魚河岸市場前の長浜ラーメンが「とにかくボリュームが多い」

他店の2玉分のラーメンが出てきます。


あと手前の長浜屋台だけ味が違って、「しょうゆとんこつ」です。


ほかのラーメン屋の味は基本的に「スープ薄め」「肉はこまきれ」


そして最大の特徴、「最初に麺の固さだけ言って座ったらラーメンがでてくる


まず断っておきますが、博多ラーメンは肉体労働系の方々が手っ取り早く、安く、大量に食べる」ラーメンです。味自体はバランスが重視されていますので、食べやすい部類のラーメンでしょう。

野菜の入ってない次郎系といえるでしょうか?福岡ではこれが基本ですね。

特になにも考えずラーメン1杯と変え玉を食べてごちそうさま。


500円でおなかいっぱいになりました。

長浜ラーメンはリーズナブルで財布にやさしいですね。