世界遺産・女人高野・別格本山 慈尊院 | 天宮光啓塾 生かせいのち(生き方塾)

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南無大師遍照金剛

合掌

昨日は、世界遺産・女人高野・別格本山 慈尊院(じそんいん)へ。

 

 

 

※ 別格本山 慈尊院(〒648-0151 和歌山県伊都郡九度山町慈尊院832)

 

 

慈尊院は、弘仁七年(816)に弘法大師が高野山開創の表玄関として創建したことにはじまる。

 

 

 

※ 多宝塔の横には、丹生官少符神社(にうかんしょうぶじんじゃ)へ続く石段も見える。

 

 

山内の庶務を司る政所や、宿所ならびに冬期避寒修行の場として整備された。

 

(引用:慈尊院のホームページ)

 

 

※ 多宝塔の朱色が秋の青い空と溶け合って見えた。

 

 

いにしえの時間と空間が、現代にそのままの姿を映し出したかのような静かな境内。

 

 

 

※ 慈尊院 大師堂 四国霊場(第37番札所 岩本寺)をふと思い出した。

 

 

高野山の表玄関として大変立派な、清浄なる美しい伽藍づくりとなっている。

 

 

 

※ 拝殿(中に入って参拝することも可能

 

 

また、こちらのお寺は、お大師様の母公(玉依御前:たまよりごぜん)とのご縁がとても深い。

 

 

 

ご存じのように、高野山は今から約1200年前に、真言密教の根本道場として開かれた神聖なる地。

 



当時、高野山は女人禁制(にょにん きんせい)であった。

 

 

 

それゆえに、我が子に一目会いたいと、ご高齢にもかかわらず四国(香川県)の善通寺からお大師様を尋ねてこられた母公とて同じ。

 

 

 

 

高野山へ入山することは許されなかったのである。

 

 

 

 

そこで、お大師様は、慈尊院で待ちわびる母公へ会うために、片道約20kmの道程を月に9回(九度)、高野山から通われたという。

 

 

 

 

それがお寺のある地名、「九度山」(くどやま)の由来となった。

 

 

 


承知(835年)二年二月五日、お大師様の母公が御入滅された。

 

 

 

 

お大師様は、母公が弥勒菩薩になられた霊夢を見て、廟堂を建立し、自作の弥勒仏と御母君公の霊を安置された。

 

 

 

※ 御廟(大師の御母公 玉依御前 : たまよりごぜん)

 

※ 御本尊様は、弥勒菩薩

 

 

慈尊院とは、弥勒菩薩の別名で、これより表向きに「慈尊院」と呼ばれるようになった。

(引用:慈尊院のホームページ)



子宝成就・安産祈願などでも全国的に大変有名なお寺とあって、

 

 

 


昨日も女性の参拝者が多く感じた。

 

 

 

納経所で少しお話をお伺いさせていただけた。

 

 

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「母なくして 子なし」

 

「子なくして 母なし」

 

「大師も 御母公あっての 大師なり」

 

作: 安念清邦 慈尊院 住職

 

(引用:慈尊院のホームページ)

 

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慈尊院の御住職様が、この御言葉を教えてくださった。

 

 

 

 

私がここにこうして存在できているのは、父のおかげ、母のおかげ、

 

 

 

 

おじいちゃんや、おばあちゃん、ご先祖様のおかげである。

 

 

 

 

そして、まわりのいろいろな方々の支えや助けがあってこそ、

 

 

 

 

また、何よりも、日々この命を支えてくれている食事、“たくさんのいのち”のおかげ。

 

 

 

 

今度は、町石道(ちょういしみち)を歩きながら、ここから高野山へ登ってみたい。

 

 

 

 

この与えられた、授けてもらった大切な命や、”いのち”をさらに輝かせるために。

 

 

 

 

お大師様の母公を思慕(しぼ)された、そのお心とともに、

 

 

 

 

亡き母と一緒に訪れたことのある善通寺の思い出を、胸にしっかりとたずさえながら。

 

 

 

※ 四国霊場第75番札所 善通寺 東院(伽藍)

 

 

 

同行二人 南無大師遍照金剛

 

 

 

 

生かせいのち

 

 

 

 

合掌