3/6
朝イチで、市民病院の先生のところへ。
診察受付に並ぶ長ーい行列を横目に、
先生の診察室へ行き、紹介状だけもらう。
この時に、
『どんな病名の可能性がありますか?』と聞いたら、
🧑⚕️『あんまり下手なこと言って違ってたらあかんけど、耳下腺癌とか。良いものではないな。
血液のガンはうちの専門だけど、違うと思う。
違う病気やったら、また違う病院になるかも。』
とのことだった。
この時、MRIを見せてもらったら、
明らかに大きかった。
ピンポン玉くらいかなーと思ってたら、
首下の左半分ほぼ埋まってるんじゃない!?って言うくらいのサイズで、
1番大きい断面写真はテニスボールくらいだった![テニス](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/386.png)
ヤバいやつだ…とここで初めて自覚した。
市民病院を後にして、
自宅前で夫に運転を変わってもらい、
大学病院へ。
夫にも待ち時間にMRIを見せたら、
『でかいな・・・テニスボールやん。』
と同じ感想だった。
(一番大きい断面の影がそのサイズに見えるだけで、球体じゃないからさつまいもみたいな形なんじゃなかろうかw
そして影のところが全部腫瘍かは素人には分かりません。あくまで首の左右を比較した時の私たち夫婦の感想です)
この日の診察は、
鼻からカメラを入れられたけど、
腫瘍の判別はつかなさそうだった。
悪性腫瘍の中に、
ガンっていうのがあって、
表に出てたら癌だし、
表に出てなかったら肉腫だし、
リンパなら悪性リンパ腫だし・・・
っていう説明をされて、
ガンっていう名前がつくのかは分からないけど、悪性腫瘍の何かだということが分かった。
そして、注射で細胞をとるのをもう一回やると😭
あの痛いやつーー。
色々検査して分からなかったら、
細胞を切り取るために、全身麻酔で切開手術をするらしい。
切り取った細胞から病名をつけるんだとか。
カルテに先生が書いてる文章に、
『湿潤の可能性』とあった。
子供の春休み中に手術にならへんかなと
思ってたけど、
どうやら、早くても4月の2週目以降(新学期が始まってから)らしい。
CTと検尿と採血。
採血は10本と言われてビビる💉
何でも、研究にも使われるからだとか。
急にモルモットになった気分
次週は、バラバラに3日間検査予約が入る🥶
そんなに病院に通うのか🤣とびっくりした。
でも幸い、夫が2日休みの週だったから送迎してくれるらしい。
ありがたやー。
次の診察は19日。
そこで、方針がわかるかも。
ここでも1万くらいのお支払い也
親、兄弟に報告。
3/7
仕事で関わる講座生などに報告。
今後どうなるか分からないので、
ご迷惑かけたらすみませんということと、今わかっている事を伝えた。
とりあえず、3月中は大丈夫そうだし、
仕事もそのまま出来るし、ライブも行けるw
(私の趣味はKPOPナムジャドルの推し活です。)
悪性だって言われてるのに、遊びの予定も継続するどうしようもない私w
でも癌になってみて、
推しがいて、本当に良かったと思っていて!
家族や周りにたくさん支えられているのはもちろんだし、とても大切だけど、
生活上で繋がっているので、周りの人と接すると、
どうしてもお互いに必ず私の病気のことが頭をよぎる。
推しは、そういった事を考えずに、
たくさん笑わせてくれて、感動させてくれる存在
夫も
『なんでも好きなことしなー』と、
私が病気になる前からライブ遠征も推し活を全く止めずに、本当に好きにやらせてくれていたので、
それもありがたいね。
受診時に痛み止めももらったので、
ここから、しばらく普通に過ごしていた🫣
大学病院のお医者さんのお友達に連絡したら、
先生とお知り合いらしく、
担当の先生は経験も豊富でちゃんとしてる方(言い方w)みたいで一安心。
過去に私自身も病院で働いていたことがあるから、
いろんな先生がいるのも知ってるし、どうだろな…と思っていたので良かった。
そして、普通に推し活でお出かけしたり、仕事したり、本当にいつも通り過ごした🫣
ただ、1人で帰り道を歩いてると、
余計なことを色々考えてしまって危険。
1月に母が亡くなったあと、
しばらくして次男が
『ママは死なない🥺?』と聞いてきたことがあった。
その時は、
『まだまだ大丈夫ー!
次男くんがおじいちゃんになるまで生きるわ!!』
と笑って返したけど。
いざ、
叶えられないのでは!?
とよぎって、泣きそうになった。
耳下腺癌は再発率が50%?と書いてあるサイトもあって、
他の部位より高いらしい。
わたしの病気は、
次男が小学校に入学するまで、
中学校になるまで、、、と
一緒にいられるものなんだろうか?
この、先行きが全く見えない時期が、
一番ポジティブとネガティブの波が激しくて、
今思えば一番のメンヘラ期だったと思う。
続く。