不幸はかけ算 | ロバの井戸

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醜形恐怖(というか実際醜い)により
10年ひきこもりニートとなり社会的に死にました。
ツマラナイ労働と精神的苦痛の日々思うところを書きます。
ブログに意義は求めず、ただ事実と本音だけ。

 

 

 

常々感じていることがこの動画で語られている。

 

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そもそもグレーゾーンがあった上で、 「グレーゾーン」×「不安を感じやすい」×「悪い家庭環境」×「悪い職場環境」 このように不幸が重なってくる人がいます。

 

一個一個の可能性は低いのです。 グレーゾーンである可能性が10%として、不安を感じやすい人が10%、悪い家庭環境の人が10%、悪い職場環境の人が10%、となると0.01%です。

 

 一個一個の不幸はよく見る不幸であっても、それが重なる人はかなりレアなのです。 そしてそれを人々は信じられません。

 

「グレーゾーン」という一個の特徴だけを見て「甘えている」と言うのではなく、うつになる人、精神科に来る人は重なっているのです。

 

一個だけで来ることはあまりなく、だいたい言わないだけでいくつか重なっていることが多いです。 

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ここでのベースの不幸は「発達障害グレーゾーン」で、

これに加えて、マイナスの個性やマイナスの環境を持つタイプが

実際に精神科にやってくるのだという。

 

私の不幸も複合要因であったと今更ながら感じる。

 

・骨格レベルでの容姿の悪さ

・不安の強さ

・コミュ障※

 ※ここが単にテクニックの問題なのか、

  発達障害グレーゾーンにかかるものかは

  切り分けが必要な気がしてきた。

・無学歴(上記の不幸が原因で追加された)

 

しかも不幸の要素が多いと、各要素の原因の見極めも解決も困難にしていく。

更には、こうした「かけ算人間」はそれほど数がいないので理解もされない。

 

「不幸の要素」をどれだけ持って生まれるかは完全に「運」だ。

人生は運で決まる。

 

きっと似たようなことを昔の人も考えたのだろう

ストア派哲学では自分の力が及ばないものは「権外」として、

悩みの外に置いた。

一神教では幸も不幸も神の御業とする。

神のやることは絶対なのでそこに疑義を持つ必要もなく、

故に自分を責める必要も無い。

 

このように、気分の上では今をマイナスではなく

ゼロとして捉えなければ前向きな生き方は出来ない。