日本政府の対応や

日本人の発言を耳にして

「世界が日本人と同じ人間ばかり」と思っているように感じます。


けれども、

そんなことをしていると

とっても痛い目にあいます。
※現に日本はたくさんあっています。




例えば、

中東にいたころ、カミサンがお医者さんにかかって処方箋を出してもらい

薬屋さんで購入しました。


現地オフィースには健康管理担当者がいました。

担当者から「どんな薬もらったか見せて」と。


カミサン薬を手渡し

調べてもらうと・・・

全くチャウ薬渡されてましたー!?


なので、カミサンは処方箋と薬を持って薬屋さんへ行き

「渡された薬チャウんやけど」と。


けれども、その答えは・・・

「何で違う薬持って帰ったの?」

※ジジイだったら大喧嘩してます。海外ではよく喧嘩してました。


そう、

他人のせいにするのが当たり前


中東に限らず、個人間はもちろん、組織間・民族間・国家間でも

このような対応は普通に見られます。

世界のスタンダードは相手のせいに出来た者勝ちなのです。

外国から入ってきた裁判制度自体がそういう仕組みですよね。




謝罪は「負けを認めた」ことになり

その後は、何らかの「力」でひっくり返さない限り

「勝ち組」は支配し、

「負け組」は支配されつづけるのです。
※だから紛争・戦争がつづくのです。





ここで、以前にも書いたことのある中東の話をもう一度書きます。


ラクダに乗った旅人

陽が落ちてきたのでテントを張り、就寝します。


風が吹いて砂のテントに当たる音が聞えます。

外に居るラクダが「鼻に砂が入ってくるので鼻だけ、テントに入れさせて」

旅人は了承します。


しばらくして

ラクダが「目に砂が当たるので、目までテントに入れさせて」

旅人は了承します。


また、しばらくして

ラクダが「耳に砂が入ってくるので、耳までテントに入れさせて」

旅人は了承します。


そんな事が繰り返され

ついにはラクダはテントを完全に占拠し

旅人はテントの外に。



多くの民族は、日本人のように遠慮深くはなく

譲れば譲っただけドンドン入って来るし、奪っていきます。


また、助けても

「貰えるのは、自分の方が上だという事を認めているからで当たり前」と

感謝されないのです。

つまり「貢がれている」と受け取ってしまうのです。


ですから「言えば当然貰える」となり

さらなる要求を出してきます。


そして、それを断ると非難されます。

なぜかって「自分の方が偉い」と思ってるわけですから。



日本人に近い感覚を持った人たちも勿論いましたが

日本人の謙虚な振る舞いが、仇となってしまうことも多々あるのです。



長いあいだ争いの無かった縄文時代を維持した縄文人をベースに持つ日本人や

環太平洋の民族(ヤップ島のように違う所もあります)では弱い階級・階層意識が多いようです。
※外国人・外国文化が入って来るにつれ、それが失われつつあります。



一方、

ユーラシア大陸などでは非常に強い階級・階層意識があり

それが、様々かつ深刻な問題を作り出しているように感じています。


ナポレオンが皇帝になったり

革命後に革命前と同様の独裁体制が成立したりするもの

根底に強い階級・階層意識があるからかもしれません。




また、

前も書いたことがありますけど

階級・階層意識が強いところでは

別の階級・階層のことを全く知りません

同じ国でありながら、外国のことのように知りません。

知ることは自分の階級・階層を下げることに通じるのです。


会社・組織の現場で問題が起きても

上の者が現場に出向くことは絶対にありません。

「現場に出る」という事は、自分の階級・階層を下げることだからです。







支配される者は支配する者に仕える・貢ぐ・献上するのが

当たり前なのです。
※西欧諸国の植民地政策を見ても明らか。これを「戦前の日本も同様に行った」とかなり誤解されています。「下衆の勘繰り」というか、自分を基準にしてますね。


ですから、「謝る」「従う」「あげる」「尽くす」「助ける」ことは、

自分が支配される者であることを意味してしまい

相手からの要求がエスカレートしてしまうのです。



日本人の使命のひとつは

世界を席巻している強い階級・階層意識を変化させる事かもしれません。