昨日は曇ってくれたので

かっぱ頭には優しい日となり助かりました(笑)。


ところで、前ブログで弁証法について少し書きました。

矛盾または相対する捉え方・考え・事実

それらを否定するのではなく、理解できる次元へと進むこと。


リンク先を参照くださった方は分かったかと思われますが

「リンク先を読むのは面倒」という方に少し説明を。


例えばサイコロを見ているとしましょう。

紙に描くという二次元の世界では。

ただの真四角だったり、平行四辺形が集まった物として描かれます。

見る角度によって、違うものが描かれるのです。


互いに「そっちが違う。オカシイ」と言い争うこともできます。


でも、立体を把握できる3次元という、より高い次元に進むと

違いが矛盾してはないことを理解できます。


わたしたちの日常生活は、これに時間が加わる4次元です。

物の形や位置が時間とともに変化していて

わたしたちは、その違いを理解することができます。


もし、時間という次元が理解できなければ

果実が実る過程で大きくなり色も変わって行くこと

鳥が飛ぶことも理解できなくなります。

※わたしたちが理解できている4次元のさらに上も当然あるとは思われ
一部には、それを感じることの出来る人もいます。


わたしたちが他の矛盾するような話を

「違う、オカシイ、間違っている」と受け止めるか

「それも有かも」と受け止めるか

で、より高い次元に進めるか否かが決まる訳です。



わたしたちの日常生活で起きている様々なトラブルの中には

もちろん「嘘」が作り出しているものもありますが

捉え方が頑なすぎるために起きているものも少なからずあり


最近、問題になっている

心の問題・家庭崩壊・教育・環境問題・LGBT・・・etc.

さらには紛争・戦争にまで至っているものも少なくないのです。

そこに必ずあるのは「それは間違っている」という頑なさです。




奈良にいたころ

非営利団体で一種のブレーンストーミングをやっていました。


心理カウンセラーとしての訓練のひとつで

相手の話を聴き、まとめる

と云う訓練も積んでいたので

ファシリテーターを務めていました。


ワークショップを終えると

理解力が進み、改善・解決方法が見出せるだけでなく

「楽しかったー」という人が多いのです。


自分の理解力が進んだゆえの満足感と

話を聴いてもらえたことの満足感の両方が得られるからです。



会議とか話し合いが上手く行かない場合は

互いに「聴く」という心理的作業が欠落し

「言い争い」になっているからです。
※権力闘争の場と化してしまった国会・地方議会はこんな感じですね。衰退していく会社・組織も同様。


「聴く」という作業は

科学に例えると

実験・観察でデータを入手する過程に該当します。


実験・観察で新たなデータが得られたとき

「自分の考えと違う。それはオカシイ」という人は研究者にはなれません。


「何で???」のあとに

「今までの理論が違ってたんチャウ?」と

捉え方の改善・改革に進むことで

人類の技術・理論の進歩が行われ続けて来たのです。


同じように

違ったデータ・情報を得る「聴き合い」が

改善・解決・進歩をもたらすのです。


そこには「自分の知らないことをほかの人は知っている」

という姿勢も不可欠です。


日本が明治維新後に世界まれにみる急速な発展を遂げた理由のひとつには

謙遜や謙虚を大切にする習慣があったからと思われます。

また「八百万の神」も一役を担っている、とも思われます。
※リンク先の解説は非常に興味深いものがあるので、是非お読みください。


一方、近年の日本の停滞や世界的な軍事緊張は

広まりつつある高慢やマウンティングも一因だと

ジジイは思っているのです。


さて、

北九州市八幡東区にある高見神社近くの高級住宅街を歩いてたら

こんな物が。



 
     そばの説明。

    


       読みやすいようにアップすると。

      




         少し小さめの石碑も。

        


           こちらは昭和に入ってからのものなんですね。

               




1ヵ月ぶりの高見神社です。




神楽殿が開いていました。




いろんな角度から撮ってみました。



左手遠くにあるのはご本殿です。









背景に松が描かれています。

能や歌舞伎ほか、背景に描かれる松は

奈良で千数百年続く若宮さまの御祭りにて影向の松の前で舞うことに由来するとか。









           




こちらに移されたのは明治で

その後、「物つくり」とか「八幡製鉄所の守護神」とか言われてもいますが

元々は、神功皇后の三韓征伐に因んだ神社です。


福岡県内には神功皇后にまつわる神社が多く

皇后様のもたらした事の大きさが実感できます。



広い境内ではありませんが

格の高さを感じさせる雰囲気と力に満ちていて大好きです。