天皇の退位問題を考える | 爺庵独語

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爺庵の独善的世相漫評

 先月、安倍内閣が設置した「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」が「論点整理」を公表した。今上天皇一代限りの退位容認に重点をこめた内容で、おそらく今後の国会論議においても、自民党の例による数の論理で、その方向に流れていくのであろう。
 
 論点整理がどうあれ、国会論議がどうあれ、爺庵は天皇の退位問題をめぐる一連の動きに、ずっと座り心地の悪さ、もやもやしたものを感じ続けている。
 
 天皇が「象徴としてのお務めについて」の「お言葉」を述べたのが八月のことで、それを受けて有識者会議が設けられ、天皇の退位について議論がなされているということは、国民のすべてがそう認識しているのであろうと思う。一方で、天皇が退位を希望する発言をしたから政府が動くというのは、天皇の国政に関する権能を否定した憲法に抵触するから、有識者会議は天皇の「お言葉」に籠められた真意を政府が忖度して、政府の自発的行為として設置し、あくまで「天皇の公務の負担軽減策等について」議論するものだという建前になっている。
 
 爺庵はこのような、実質的に天皇の意思を踏まえたものでありながら、建前上は天皇の意思とは関係ないというたたずまいに、座り心地の悪さを感じているのである。天皇の意思を受けて政府が動くことが憲法違反であるのなら、なにやら天皇の退位をめぐって、国民すべてが憲法違反を糊塗する政府の詭弁的行為の片棒担ぎ、共犯者になっている、否そうさせられているかのようではないか。
 
 稲田朋美が南スーダンのPKOに関して「戦闘」ということばを使うと憲法違反の問題が生じるから「衝突」ということばをつかうのだと、国会の場で平然と答弁したような、救いがたい蕪雑さ、無神経さと、この有識者会議設置の論理とにどれほどの違いがあるのだろうか、とも思う。
 
 しかもその結果は、おそらく、天皇の真意とは異なる一代限りの退位容認となるのである。天皇の意向を受けて、天皇の意向とは無関係と称する会議を設け、天皇の意に反する結論を導きだそうとしているのが安倍内閣のこの問題に対する態度なのであろう。結局のところ、ただの落しどころ探しに過ぎない。
 
 有識者会議の論点整理では、退位を恒久制度化することの困難さをいくつもの例を挙げて論じているが、おそらく内閣官房の官僚たちによる力作なのであろう。国の官僚は、できない理由を羅列することにかけては、並ぶものがないほどの能力を発揮するのである。
 
 例えば恒久的退位制度を設けた場合に、「世論や時の政権の圧力により、不本意ながら天皇が退位の意思を表明させられるような場合も否定できないのではないか」などという理屈は、爺庵から見れば笑止千万で、国政に関する権能を有しない天皇の首をすげ替えねばならないような世論とはどんな世論が想定されているのか、政権が天皇に退位圧力をかけねばならないような状況とはどのようなものを想定しているのか、いちいち説明してほしいと思う。むしろこの理屈は、安倍晋三がいずれ憲法を改正して天皇を国政総覧者の地位に復帰させ、その上で天皇の名において(それは即ち政権の責任回避の意に発するのであるが)国政を擅断するようにしたいから、その時にそれに反撥する天皇が恣意的に退位されたら困るという、遠大きわまる想いが含意されているのではないか、とでも疑いたくなるのである。
 
 こんな屁のような理屈を捏ねてまで天皇の退位を阻止したいのに、落しどころとして一代限りの退位容認ということにするしかないなどと安倍内閣が考えているのであれば、むしろ一代限りの退位すら否定する八木秀次の主張の方が、よほど清々しい。といっても、爺庵が八木秀次に同調などするはずはなく、それは後で八木批判として書くのである。
 
 爺庵は八月の天皇の「お言葉」を、昭和天皇の「人間宣言」に匹敵する今上天皇の「人権宣言」であると理解したのである。正確にいうなら、天皇の「人権回復宣言」であろうか。
 
 およそ天皇と皇族とは、日本人でありながら、日本国憲法が定める自由と人権を著しく制限されている。選挙権も被選挙権もなく、政治的権能も奪われている。居住の自由はなく、職業選択の自由もなく、引退する自由もなく、表現の自由も事実上ない。しかし法令遵守の義務はあるし、納税義務もある。権利と自由が制限され、義務だけはあるというのが天皇や皇族である。それに不満があっても、それを表明することは憲法上天皇が権能を有しない国政に関するものであるとして許されず、さりとて黙っていたら政府がその不満を解消する手段を講じてくれるわけでもない。
 
 爺庵は八月の天皇の「お言葉」とは、そうした天皇と皇族を取り巻くこの国の理不尽な現状に対する、人権回復宣言であると考えるのである。そしてその観点から見て、建前論で天皇の退位問題に終始して、国家と天皇との根幹的問題から目をそむけ続ける安倍内閣の対応というのは、ほとんど「お言葉」を無視しているに等しいのではないかとすら思う。
 
 もとよりそれは安倍晋三ひとりの問題ではない。有識者会議が行ったヒアリングには、前出の八木秀次をはじめ、極右思想の煽動者たちが大勢かり出されていたが、東大名誉教授だという平川祐弘なる輩は、今上天皇が心血を注いできた国民との触れ合い、災害被災者を初めとする国民への寄り添いを、あろうことか「自分で拡大解釈した役割」「今の陛下の個人的解釈による天皇の役割」「偏った役割解釈」などと、天皇が雁字搦めの行動の制約の中から見出した象徴としての務めを、あたかも無用のものであるかのように言い捨てる始末である。さらには天皇の「お言葉」そのものを「異例のご発言だ」と非難がましく言い募るのである。まことに忠義面した不忠義者とはこのような輩を指していうのであろう。
 
 また渡部昇一は「宮中で国と国民のためにお祈り下さればそれで十分」と言い、櫻井よしこもまた「天皇に求められる最重要のことは、祭祀を大切にして下さるというみ心の一点に尽きる」と言う。こ奴らは、天皇のひとりの人間としての生き方あり方を理解しようという思いなど心の片隅にさえ浮かべたことがないのであろう。つまるところ、こ奴らが求めているのは、自分の偏狭な天皇観にだけ合致する天皇の存在なのである。自分にとって都合のよい天皇像を鋳型にとって、そこへ生身の人間である天皇を押し込めようとしているのが、これら極右扇動家の似而非学者、似而非有識者なのである。
 
 こうした偏狭な天皇観を、国民のみならず天皇に対してすら押しつけようとする扇動家の典型を、爺庵は磯部浅一の獄中日記に見る。
 
 二・二六事件の首謀者の一人で、北一輝と西田税の裁判が終るまで生かされて、のち銃殺刑に処せられた磯部は、獄中で書き綴った日記の中で「吾々同志程、国を思い陛下の事をおもう者は日本国中どこをさがしても決しておりません、その忠義者をなぜいじめるのでありますか」と天皇に呼びかける。磯部はさらに、日記の中で忠義者の諫言を聞き届けようとしない天皇を「何と云う御失政でありますか、何と云うザマです、皇祖皇宗に御あやりなされませ」と叱責する境地にまで到達するのである。昭和天皇にとっては、磯部を含む二・二六の叛乱軍は、統帥権を侵し信頼する重臣たちを殺戮した疑いもない不忠の徒であったのだが、磯部は自らを忠臣と信じて疑わなかった。
 
 ファナティックな精神は歪んだ忠義心を忠義の対象にまで押しつけて顧みない。忠義の対象が、その忠義を受け入れないのであれば、彼等は忠義の対象をすげ替えることすら厭わないであろう。昭和動乱の時代、秩父宮擁立論などが囁かれたことは、尊皇忠義を口にしていても、その心底にあるのは現実に存在する天皇への忠誠ではなく、みずからの心の中に仮構した偏狭な天皇像への忠誠に過ぎないことを証明するであろう。すなわちそれは、自己愛以外のなにものでもないのである。
 
 そして、現代の忠義者を自任する右翼扇動家と磯部浅一との間には、指先で軽く突いただけで破れてしまうほどの薄く透明な隔たりしかないであろう。彼らはいつでも、磯部の境地に跳び込める存在である。
(この項つづく)