雨夜に出ずるは長嘆息のみ | 爺庵独語

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爺庵の独善的世相漫評

 衆院選の公示まであと僅かである。

 先週なかばに滋賀県知事の嘉田由紀子が突然新党未来の結成を発表し、これに小沢一郎の国民の生活が第一や、河村たかしらの減税日本・反TPP・脱原発を実現する党などが合流を表明、日本維新の会とみんなの党が主導していた所謂第三極に嘉田の新党が割って入ることになった。

 いやはや、わけが判らんわい。

 爺庵は、地方公共団体の首長が国政にうつつを抜かすことを好もしくは思っていないので、嘉田の動きにも好意を持たない。そもそも脱原発というワンイシューでこの指とまれというようなことで国政政党を創設しようというのもどうかと思うし、それに小沢や河村らが旗揚げして間もない政党を解散してまで合流しようというのも有権者をバカにした話だと思う。

 ただその結果として世論の風は、迷走を通り越して無秩序状態になってきた日本維新の会から離れて行っていることは確かなようなので、その点だけは嘉田の行動にも意味がなかったわけではないと思う。

 それにしても維新の会の迷走暴走ぶりはひどいもんだ。嘉田新党に押されて脱原発については「結果としてフェードアウト」というわかったようなわからないような表現を公約の中に書き込んだと思ったら、党首の石原慎太郎が公の場で脱原発を否定して公約の見直しを言明する。それを聞いた幹事長の松井一郎は、石原と橋下で発表したものだから見直さないと言う。挙句に今日になって橋下がフェードアウト云々は「議論のたたき台であり公約ではない」と言い出したという。

 なんでもええけど、いったい誰の言うてることがホンマのことやねん。

 もっと遡って考えたら、橋下は一年半前に「クーラー止めたら原発止まる」と言いだして原発廃止を煽り立てていたくせに、その本人が大飯原発再稼働を容認してマッチポンプぶりを大いに発揮したのに、衆院選も間近になって嘉田新党の結成を見た途端、フェードアウトと言う言葉を使って脱原発を印象づけるようなことを言いだし、そして今日になってまた曖昧な言い振りに変化したのだ。

 要するに、ポリシーなど日本維新の会という異類姦集団には存在しないということなのだろう。もとより、橋下という奴にはもともと定見など存在しなかった。橋下の発言が頻繁にブレるのは、考えがブレているのではなく、もともとその場の思いつきを口にしているだけで、先に思いついたことと、後で思いついたこととが違っていたというだけに過ぎないと爺庵は信じている。橋下はその場その場でウケ狙いの発言をすることによって自分の人気を高め、それによって権力を握って自己愛を充足させることしか考えていない。市民のため、国民のためなどという思想は、橋下には存在しない。国家国民というような発言をすること自体が、その場の思いつきに過ぎない。だから橋下の発言を信用した日には、えらいことになるのである。

 現下の状況では橋下が衆院選に出馬する公算はかなり低くなっただろう。出馬したところで、自身は当選できても、日本維新の会全体ではさしたる議席数は確保できまい。打算だけは天才的な奴だから、それぐらいは計算しているはずだ。

 おそらく橋下の狙いはすでに、総選挙後の比較第一党との連携を通じて政権にコミットして行くことに移っているはずだ。即ち自民党と公明党である。

 自公と維新との連立政権ということを想像すると、爺庵は全身が総毛立つような気分になる。安倍と石原、橋下。そこに実は最も利権的な性格を持つ政教一体集団がくっつくのである。いったいこの国の将来はどうなってしまうのか、想像すらできない。

 さりとて、どの政党が真っ当な政治をしてくれるのかと思うと、それもまた思慮のし甲斐のない問題であるという現実に直面せざるを得ない。投票すべき政党などないではないか。
 
 それは、自信を持って選ぶことができる政党を育てられなかったこの国、この国民が、つまるところ負わねばならない宿命なのだろうか。

 雨夜に出ずるは長嘆息のみである。嗚呼。