きっと終わりの始まりになる | 爺庵独語

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爺庵の独善的世相漫評

 一週間ばかりの間に政局がコロコロ動いて、衆議院が解散、来月16日に総選挙と決まった。その途端に、蛆虫どもの蠢動が始まった。石原慎太郎がたちあがれ日本を丸のみして、太陽の党なる珍妙な名前の政党をでっち上げたのが13日。同じ日、石原は名古屋市長のバ河村と会談し、減税日本と太陽の党の合体で合意。と思ったら、今度は石原慎太郎と橋下徹が17日に会談。減税日本と太陽の党の合併は破談にして、日本維新の会と太陽の党が合併するという大逆転である。

 捨てられて涙目のバ河村がまだ未練たらしいことを言ってるのを見るとキン○マはついてるのかと一喝したくなるが、その一方で、笑ってしまうではないか、この橋下徹や石原慎太郎の無節操ぶり。小異を捨てて大同につくなどと、格好のいいことを言いながら、その実情は大異を捨てて小同についたわけだ。たちあがれ日本とはカラーが違うの、思考停止だのと批判し、合従連衡については政策の一致が大前提などときれいごとばかり言ってた結果がこれかよ。立派すぎて小便も出やしない。

 世間では野合だと批判が湧きあがっている。だが野合というのももったいないぐらいだ。野合の語釈は「正式の手続きによらず、夫婦になること」だそうだが、正式手続きがあろうとなかろうと、それは人の男女がなす行為に違いなかろう。橋下や石原がやっていることは、そんな上品なものではない。せいぜい異類姦、獣姦のたぐいがいいところだ。まともな人間の所業ではない。まして政治家でございと威張りたいのなら、口に出したことぐらい守るもんだろうぜ。かつて大正期の政党角逐の時代に、政友会が憲政会を「醜類」と呼んで批判したことがあったが、この呼び名をそっくり頂戴して日本維新の会に進呈するのもよいかも知れない。

 しかし実は、爺庵は橋下と石原が手を結んだことを、良かったと思っているのである。

 ひとつには、橋下の総選挙出馬の可能性が少し減ったということ。今後の情勢次第では、まだ可能性がなくなったわけではないが、石原が立候補すれば当選はするだろうから、橋下自身が出馬して国会議員団をコントロールすることが必須の状況ではなくなっただろう。

 一方でつぎはぎの集団ができたことで、内部から自壊するのにそう多くの時間は要しないだろうと思うのが、もうひとつの理由だ。橋下徹は野合批判に対して「民主党の中も自民党の中も考え方が百八十度違う人がいっぱいいる」と得意の詭弁を披露したそうだが、スピード違反で摘発されてほかにも違反者がいっぱいいると警察官にかみついているDQNみたいな発言は嘲笑しておくにしても、まさに語るに落ちるで、根本的な政治信条の違う寄せ集めの異類姦集団だということを認めてしまっているわけだ。となれば何か大きな政治課題が浮上した途端、この連中は瓦解するに違いない。例えば尖閣問題について、保守派の習近平が政権を握った中国が動いたら、石原や平沼が橋下の言うことに従うことなどできるはずがない。それは彼らの政治的死を意味するはずだ。

 だから爺庵は、橋下と石原が手を組んだことによって、この集団の先行きがほぼ見えたと思っていて、従って良かったと思っているわけである。