塩+大豆+米=味噌 | 爺庵独語

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爺庵の独善的世相漫評

 敵に塩を贈るという言葉があるが、塩だけじゃなく、大豆と米も一緒に贈ったようなものだ。塩と大豆と米がありゃ、味噌ができる。で、自分の行動に味噌を付けて、挙句に糞味噌にやられてしまうような奴は、世間一般では阿呆と呼ばれるのであろう。

 と思ったのは、橋下徹の正体を暴くという惹句を冠した佐野眞一のルポルタージュを掲載した途端に、当の橋下に猛然と噛みつかれて、親会社である朝日新聞ともども、早々に白旗を上げてしまった週刊朝日の弱腰ぶりである。

 おそらく橋下はほくそ笑んだであろう。日頃から毛嫌いしている朝日新聞の系列の週刊誌が、メディアを金縛りにできる部落差別問題という餌を目の前にぶら下げてくれたのだから。これを利用しない手はない。大々的に騒げば、所詮はライバル同士、他メディアも朝日を叩けば自社が伸びるってなもんで面白おかしく取り上げるだろうし、頽勢に陥った維新の会人気も挽回できる。

 こんな下心ミエミエの橋下のパフォーマンスに、ライバル社がすわこそ一大事出来とばかりに飛びつくザマは醜悪の限りであるが、朝日新聞と週刊朝日が抵抗もせずに揃ってゴメンナサイとやったのは、醜悪を通り越していた。そもそも何に対して、誰に対して謝ったのかもよく判らない。週刊朝日のコメントを見ると、記事の中で同和地区を特定したことについて不適切であったと言っているようだ。

 だが橋下が生まれた同和地区がどこであったかは、既にあちこちの出版物で明らかにされているし、爺庵の記憶違いでなければ、橋下自身の口からもそのことは語られたことがあったはずだ。既出の出版物の版元などが、そのことについて謝罪したことなど、聞いたことがない。にも関わらず朝日は、橋下の罵言に反論するそぶりも見せずに降参したのである。これでは批判しようとしていた敵=橋下に対して塩を贈ったどころではない。わざわざ橋下の応援をしてやったようなものだ。

 その結果、何が起こったのか、或いは起ころうとしているのか。

 橋下は、この記事の掲載に際して、本来批判の対象とすべき執筆者佐野眞一や、掲載誌である週刊朝日を飛び越えて、親会社の朝日新聞社を狙い撃ちにした。相手が大きいほど、騒動も大きくできるからである。役所の出先機関で職員の言動に因縁をつけて、「知事に謝らせろ!」と喚くクレーマーと同じ行動である。

 で、ゴメンナサイと謝ったら、今度は謝り方が気に食わないといって、相手を鬼畜呼ばわりしたり、佐野を抹殺しに行くなどと、どちらが人権問題で批判されているのかと言いたくなるような悪罵の限りをつくしながら、経緯を検証しろ、公開の場で釈明しろと、問題の引き伸ばしと拡散を狙っている。経緯を検証したら、今度はその中身に対してまた難癖をつけるに違いない。要するにどこまでも喰らいついてやろうという魂胆である。これもまた、悪質なクレーマーの常套手段だ。

 我々は今現在、たった一人の悪意ある人間に喰らいつかれたがために、何人もの罪なき人が殺され、或いは一家離散、財産乗っ取りなどの被害を生んだという兵庫県尼崎市の事件報道の最中にいる。この事件の報道を見るに、主犯格の女の遣り口というのは、橋下が朝日に因縁をつけ、絡み、膝を屈した相手に追い打ちをかける姿を髣髴させると思わないか。

 クレーマーやヤカラには、一歩譲ったら最後、骨の髄までしゃぶりつくされるというのは最早常識だ。だから朝日は橋下の下心ミエミエのパフォーマンスに、毅然としていなければならなかった。そんな常識すら持ち合わせていなかったのかと思わせるような朝日の対応に、爺庵は失望を通り越して絶望しか感じない。

 おそらく朝日は今後、橋下に対する批判の矛先が鈍る。そしてそれは他のメディアに対しても心理的な圧迫として影響する。橋下を批判するのは危ない、と。こうして言論は封殺されていくのか。その先にあるものを想像して見よ、絶望以外のなにものでもないではないか。