言葉の劣化はこころの劣化 | 爺庵独語

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爺庵の独善的世相漫評

 いつごろから流行り始めたのか知らないが、近頃よく目にして厭な気持ちになるのが「上から目線」という言葉である。そもそも目線という言葉からして、いわば業界用語、スラングの類が一般化してしまったものなのだが、そこに「上から」という名詞+格助詞の複成語をくっつけたら偶々ニュアンスを良く表す言葉になってしまったというところなのだろう。初めに使った奴はなかなかのセンスだと褒めてやりたいところだが、だがそれはきっと、本を読まず語彙が貧困な人間が思いつきで使ったのが偶然ウケて同類が使い出したというものに過ぎないだろうから、決して褒めるには値しない。むしろ本ぐらい読めよ、たまには辞書でも開けよ、と言いたくなる。
 例えば傲慢、あるいは倨傲。驕慢でも高飛車でも高圧的でも尊大でも、傲然でもいい。言葉とは、探せばいくらも出てくるものだ。倨傲などという熟語を知らなかったとしても、見下すという言葉くらいは知っているだろう……いや、あんたそれは「みくだす」と読むのだよ、「みおろす」と読んではいかん、それじゃなにかい、おそらを飛んでる鳥さんはみんな上から目線かい。
 「人を見下したような物言い」と言えばそれで十分過ぎるくらい通用するだろうに、わざわざ「上から目線」などとは何をか言わんや。
 それに、この言葉を使う場面だってよく間違われている。例えば、とあるブログに「○○してあげる」という表現を含んだ書き込みががあるとしよう。するとこの「してあげる」に対して「あげるだなんて、どうしてそんなに上から目線なのですか」というような批判が加えられるわけだ。「あげる」はそもそも「上げる」。「やる、与える」の謙譲語である。だから、「上から目線」などとはとんでもない、その正反対の「下から目線」そのものなのだぜ。もうちっと日本語を、敬語を勉強したらどうだい。
 だが、本当に問題なのはこうした語彙の貧困、言葉の劣化ではない。そんな些細なことに「上から目線」だと非難したがる心情の方が問題なのである。
 こういうことで騒ぎたがる心理というのは、想像するに鬱屈した被害者意識、神経過敏な負け犬根性、といったところか。たいしたことでもないのに、自分がバカにされたように感じ取ってしまって、ヒステリックに反応するのが「上から目線」批判である。
 この「上から目線」という言葉による攻撃がある意味で秀逸だと思うのは、批判する対象の選択は、批判する側の主観が唯一のメルクマールだということである。わたしは上から目線だと感じる、と言えばそれだけで上から目線批判が成立してしまうのである。これは、差別と感じる人がいればそれだけで差別になる、といういわゆる「差別語」批判と同じロジックの上に成立している。要するに、誰であれ「上から目線」だという攻撃をあらかじめ回避することはできないのだ。
 そしてこのような巧妙な攻撃を他人の発言に対して仕掛ける行動というのは、先に述べたような、鬱屈した被害者意識や神経過敏な負け犬根性という心情の裏返し、反作用である。爺庵は、こうした行動は、昨今社会問題と化しているクレーマーやモンスター・ペアレント、あるいはブログ炎上などを引き起こしている連中の心情や行動と、シノニムの関係にあるいのではないかと思っている。誰か社会学を専攻する研究者にでも調べてもらいたいものだ。
 さらに突っ込んで考えるなら、それは被害者意識、負け犬根性の裏返しとして、自分よりも弱い立場の人間を叩いて一時的な優越感を得ようとする卑劣な根性である。強い者に抵抗する気概を喪失し、牙ばかりか爪ももがれて去勢もされて、飼い主に尻尾を振るしか能のない犬が猫や鼠をいたぶっているようなものだ。劣化したのは言葉だけではない、こうした心の劣化こそが日本人の未来を絶望で覆い尽くすのである。