毎日の如く戦争の報道が流れる。

 

数名の死者数と破壊された市街地の映像が流れる。

多くの国々が戦争道具の提供を約束しているが

「ともかく戦争を止めよう」と走り回る人はみえない。

 なぜ ?

 

 

昼のニュースに鹿児島大空襲を生き延びて

戦争の事実を伝える最後の一人だろうと自認する方」

 話があった。

 

1945年6月17日の今日

「皆 寝静まった夜中11時にB29によって焼夷弾がばらまかれた」

(この年5月から8月の死者3329人、負傷者4633人)

   (鹿児島大空襲写真をカラー化・・お借りしました)

 

 

私達夫婦 

同じように小さな町の  

町はずれに住んで空襲を受ける事は無かったが

私は 空爆された「日立笠戸工場」や「日石」から

真っ黒い炎が立ち上るのを

親に連れられ逃げ込んだ裏山の木の間から見た。

 

今 『偉い人達は何しよるんかね?』と・・

俺たちは『なに しよるんかね?』とも思う。

 

 

10年位前

自転車に韓国と日本の旗を付けた自転車で

周南市の交差点周りを見回しているこの方に出会った。

(無帽 笑顔のかた チェ チュンホン 최충현氏

 

 

「何か お手伝いしましょうか?」と

つたない韓国語で話しかけたのが縁で

私のメルアドに世界自転車旅の記事が不定期ではいります。

 

この方

ただいま自転車での世界2周目旅行中の超有名人。

韓国軍上級幹部・退役後国内・世界自転車旅行

コメントの多くは「隊長殿」と

多くの上級幹部は~40代、50代前半に退役するようで

 

朝鮮戦争休戦協定から70年

平和協定まであまりもながすぎてギネス登録だと

憤慨の記事が載りました。

 

北からも

 

南からもここを見て

 

歩いて行き来する日が見えるだろうと思ったのだが・・

もう少し時間が必要なのか。

 

散歩には出たくない暑さ

部屋に転がっていたくはない蒸し暑さのなかで

ろくでもない話ししかうかんで来ないが

私だけの明日では無いのだから

グッスリ寝て余生をガンバリ、楽しもう。