私は小学4年生で日本の敗戦を迎えました。

当然 私達は日本人ですが朝鮮人とも言われ「ヨボ、ニンニク臭い」等と

周りの日本人と同じでは無い事も確かに感じていたといえます。

 

記憶では解放後から(小学5~6年生)

一年に数回ジェサに参加するようになります。

ぐっすり眠っているのに真夜中に起こされ

お供え物に向かって「お辞儀」をさせられるようになりました。

私が長男だからでした。

 

 

お辞儀などが終わる頃には完全に目が覚め”食い気”もしっかり起きて、

おなかがくちくなったら布団にもぐり込み寝るだけでした。

 

 

 中学2年の時

友人達と寝台急行で20時間もかかる東京朝鮮学校編入します。

朝鮮戦争のさ中で

民族、帝国主義、解放、民族教育、

民族の良風美俗と言う単語を聞いただけで興奮しました。

 

 最初の夏休み前

卓舎監先生が寮生たちに「朝鮮式お辞儀」の仕方を教えてくれながら

 「駅で、バス停で、玄関先での”ただいま”で挨拶は終わらないよ、

 部屋に入りアブジとオモニに座布団を勧め座ってもらった後に

 「朝鮮式のお辞儀」をするのが民族の挨拶なのだと教えられました。

 

 

最初のお辞儀の時

お辞儀を終えて立ち上がりながら見たのは 

アブジとオモニは何事が始まるのかと座布団の上で中腰のままでした。

ほぼ70年間、お辞儀は勿論 ご先祖供養も受け継ぎ守ってきました。

オモニから家内に料理などの種類や作り方も伝わり

自然に兄弟や子供達にもつたわりました。

 

 

 

 

私達の生活も

農村型から都市型に変わり定められた時刻に集まるという事も

簡単ではなく

次の次世代に男の子が居ないと言う事もあって

長いこと考えた末に

いわゆる盆正月、命日の法要などは「形式にこだわらない」事にし

私たち夫婦は「散骨」を選びました。

墓についてはもう少し考える事にしていますが年内には決めます。

 

 

私がブログで見る限り 

最も穏やかに正月らしい雰囲気のブログです。

お隣 韓国の今がめると思います。

是非ご覧ください。