(帰路の津軽海峡フェリー乗り場にて)
長い間、後追いで北海道のロングツーリングの思い出話を書いてきました。
まずは長々と続く“駄文”をお読みいただいた皆様に改めてお礼を申し上げます。
7月4日に千葉を出発した日を“起点”として考えても、もうすぐこの“旅”のことだけを書き続けて4ヶ月になろうとしています。
どこまで?どれくらい?
こんなに書こうと思ってもいなかったのですが、書き終わらないと違うブログをはさめないという変なジレンマに迷い込んでいました。
(そんなもの誰も気にもしてないのに(笑))
なので、今回15回目の“統一テーマ”の投稿で“旅”を終えることが出来るなぁと、ちょっと自分自身にホッとしているところがあります。
あれ?!
前振りが異常に長くなりました。
恐縮です!!
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7月13日(木)
いよいよ札幌をあとにして函館に向かうことになった。
北海道の地をバイクで走るのもあと250km程だ。
午後には函館に到着することだろう。
そして北海道最後の1日を自由に楽しむことにしよう。
(帰りも雨に見舞われたぜ!)
函館も“居酒屋兆治”の撮影の頃とは比べられないほどにお洒落になっていた。
港の“金森赤レンガ倉庫群”のあたりはすっかり様変わりしていた。
今日はこのあたりで地ビールをしこたま飲み尽くそうと決めていた。
北海道は酒の肴も申し分ないし、その風情も相まってきっと飲み過ぎる“ひとり酒”になることだろ。
でもいいさ。
飲み過ぎて千鳥足になっても、港近くの宿泊先の簡易ベッドに辿り着くことは出来るだろう。
改めて北海道は本当に楽しかったと思い返している。
それは風光明媚なライダーの聖地だったことを体感できたからだけではなくだ。
その逆でロングツーリングだからこそのトラブルに見舞われたことも含め、思い出深いものとなった。
本州の宮城県と岩手県の県境でナンバープレートを取り付けている金属ステイが破断し、危うくナンバープレートを紛失するところだったのトラブルを皮切りに、毎日のようにドキドキするようなことに見舞われた。
よくもまぁ、無事にひとまず本州に帰れるところまでやってこられたものだと今は思っている。
なぜなら、じつはブログにも書けないでいた、とんでもないミスもおこしていたのだ。
(結局、暴露するのですが)
遡れば北海道に上陸し函館を後にしてからバイク修理で訪れた道東の八雲という小さな町でのことだった。
じつはこの町で現金、クレジットカード、そして運転免許証までもが入ったセカンドバッグを落としてしまっていたのだ。
気がつくのが早く、直ぐに通ってきたルートを引き返し八雲警察署を通り過ぎたときのことだ。
バイクに乗る私に向かって手を振る女性のグループと警察官がいたのだ。
もう頭が真っ白な状態だったが、私はすぐに気がつきUターンをして、警察署の前にバイクを停車した。
そのときもしやと閃いた。
そして、にっこりと微笑んでいる警察官に尋ねてみた。
「もしかしたら黒いセカンドバッグが落し物として届いているんですか?」
そう尋ねると横にいた女性の方が
「良かった!戻ってきてくれて。私バイクからセカンドバッグが落ちるところをたまたま見ていて大きな声を出したんですが、気がつかなくてお兄さん走り去ってしまったんです。」
なんとセカンドバッグはすぐに戻ってきたのだ。
何故落としたのかの事情を話しだすと長くなるので割愛するが、この過失にはいくつかの幸運が重なった。
ひとつは落とした場所が駅前の交差点だが人通りが少なかったこと。
さらに交差点のすぐ近くに警察署があったこと。
そして、拾ってくれた女性が正直で親切な地元の人だったということだ。
警察官曰く拾得してくれたのが地元の人間でなかったら、どうなっていたか分からなかったと言っていた。
その後警察署に入り様々な確認と手続きを済ませ無事に貴重品の入ったセカンドバッグを手にしたときには嬉し涙が溢れてきそうになった。
あとは警察官立ち合いのもと、拾っていただいた方への謝礼をどうするかだった。
警察官曰く
「当事者同士でどうするかを決めてくれればいいです。」
とのこと。
じつは謝礼は1割という決め事はないとのこと。
その女性は謝礼などいいですと辞退していた。
しかし、それでは申し分ないと私は事情を話した。
昨日、千葉県からツーリングで北海道に渡ってきたばかりで、北海道を巡るのはこれからだったということ。
そしてこのバッグが戻ってこなかったら“旅”を続けることができなかっただろうということ。
さらにあなたのような正直な女性に拾っていただけた奇跡のような偶然にただ感謝しかなく、お礼なしにこの旅を続けることは私にはできないと。
大したことは出来ないけれど、お礼をさせて下さいと懇願した。
結果、その女性はそうまで言って下さるのであればと謝礼を受け取ることを認めてくれた。
受け取っていただいた金額はガソリン代がないと困りますのでと冗談を言いながら、警察官の方にもお話し、持っていた現金の一万円札全てをその女性に受け取っていただいた。
現金すべてと言っても4万円弱しか持っていなかったので一万円札は3枚でしたが(笑)
女性からは
「こんなにいただいたらお困りになるでしょ?」
と言われましたが、これから定山渓でやはり北海道へ飛行機で来ている妻と待ち合わせしているので定山渓に辿り着ければ問題ないことと、もしもクレジットカード、運転免許証を紛失したことを考えればこんな謝礼では申し訳ないほどですと話しなんとか受けとっていただいた。
そんなことがありながら、じつは私の北海道の“旅”は綱渡り的に始まったのだった。
私はあの時の女性と、八雲という町、そしてみなさんの優しさを生涯忘れることはないだろう。
その他にも、北海道で大雨に見舞われた際、カーナビ替りに使っていたスマホが雨濡れで故障したこと。
同じく大雨でスピードメーターに水滴が侵入しデジタルの距離表示が機能しなくなり、何キロ走ったのかもわからなくなったこと。
などなど、大いに途方にくれたこともあったが、とにかく走り続けようと気持ちを切り替え走ることに集中した。
とにかく“セカンドバッグ紛失未遂事件”を経験したことで、大概のことには動じない覚悟めいたものを持つことが出来ていた。
そのせいという非論理的なことを言うつもりはない。
しかし、濡れて故障していたスマホも、そしてスピードメーターも乾いたからなのか、どちらもなにもなかったかのように時間差はあったものの自然に元通りに作動するようになっていた。
悪運が強いのか?
はたまた、天が初老のオッサンを見放さなかたのか?
今回の“旅”で起こったトラブルは、私の小さな“冒険の旅”を彩る伏線のようだった。
そして出逢ったみなさんのお陰で、すべての伏線が回収できたという満足感に浸りながらこの函館に戻ってくることが叶ったと思っている。
いい古された言葉と思われるかもしれないが
「渡る世間に鬼はなし」
ということの意味を改めて知ることとなったロングツーリングとなった。
また必ず北海道を訪れたいとすでに思っている。
理由は至極単純なものだ。
北海道をバイクで巡る旅の楽しさを知ってしまったからだ。
私の先輩や少し後輩の友人に、北海道ソロツーリングの話をすると、凄いなぁ、自分には無理だと言われることが多かった。
しかし、北海道ソロツーリングはそんなに凄いことなのだろうか?
先輩や後輩の友人達に果たして無理なことなのだろうか?
私の答えはこうだ。
そんなことは絶対にない。
無理なのではなく、どんな障害があろうともそれをやってみたいという欲求が本物かどうかそれだけだろう。
私にとって“遥かなる2,000マイル”とは、自分の人生にとっての一里塚に過ぎなかった。
“やれない”理由を年齢のせいにするのは自分の人生に対する嘘なのではないだろうか?
それは“やれない”理由ではなく、“やらない”言い訳に過ぎないのかもしれない。
仕事で社会と繋がっていたい、ボランティア活動で他者貢献を果たしたいと考えることを否定するつもりはない。
ただ私達の世代は自分でやりたいと思ったことをやり切ってきたのだろうか?
繰り返しで恐縮だが、あの麓郷の五郎さんはこう大きな声で唄っていた。
「やるなら今しかねぇ!」
まだまだ、私達の世代は、出来ないことの方がきっと少ないはずに違いない。
(おしまい)
【追伸】
7月18日、自宅に戻ってきました。
実走行距離、きっちり2,000マイル、メートル換算で3,200kmでした。
(20540-17340=3,200km走破!)
じつは数キロ足りなかったので近所を遠回りして自宅に戻りましたけどね。