飛騨古川へ辿り着いたのは午後の1時過ぎでした。

 

最後の晩は息子の嫁のモモの実家(正確には飛騨市古川町中野というところにあります)にお世話になりました。

 

午後到着した時には、モモのお父さんも田植え前の地域の田畑の消毒作業も済ませ家に戻っていました。

 

居間に通され飛騨から北陸を巡ってきた道中での出来事を珈琲をいただきながら話しました。

 

「いやぁ、シーシーバーが折れてしまって今日はダッフルバッグを背負ってこちらまで走ってきましたが、背負うためのバッグではないのでちょっと大き過ぎました。

なので高山までこれから出掛けリュックを買おうかと思っています。」

 

と話したところ

 

「だったらウチの息子達のバッグがあるのでいいサイズのものを使って下さい。」

 

と、おっしゃってくれたので、ご厚意に甘えて拝借することにしました。

 

もう明日中に自宅まで帰るつもりなので、小振りのキャンバスのリュックを借りることにしました。

 

ここまで背負ってきたダッフルバッグは、今度千葉の方へ孫達の顔を見るためにお越しいただくときにでも持ってきていただけると助かります。


とまたまた厚かましいお願いをさせていただきました。

 

その後お父さんは

 

「折角ですから、ちょっと飛騨古川と高山の方をご案内しましょう。」

 

と、言って下さったのでバイクではなく、お父さんの運転するクルマの助手席に座りながら、この午後はしばしの観光客気分を味わうことが出来ました。


●飛騨高山

(地元酒蔵の中にある利き酒コーナー)

(飛騨高山で1番有名な料亭“洲さき”。もちろん写真だけ)

(高山陣屋にて)

(「幕末の三舟」の1人、山岡鉄舟は飛騨高山に縁のある人物。鉄舟がマスクをしてるので、このときは私もマスクしてみました。)


●飛騨古川

今回の目的のひとつである日本で唯一であろう、200年以上続いているすべて手作業で作り上げる和ロウソクの老舗“三島商店”さんを訪問。


母、義姉の一周忌、父の二十七回忌が5月にあるので、仏壇を護ってくれている長兄へのお土産購入のためおじゃましました。


(7代目店主の三島順ニさん)

(お店は趣きのある古い建物ですが、三島さん曰く古川の大火(明治37年、日露戦争中の出来事)のあとの建物なので、まだ100年程です。ですから古い建物だなんて言えませんと笑って説明してくれました。)

(昔ながらの商いのスタイル)

(和ロウソクならではの、すぅっと上に伸びる炎のポスター)

(三島商店は朝ドラ「さくら」の舞台になっていました。)



 


夕方暗くなる前にモモの実家に戻るとお母さんが夕食の準備を始めていました。

 

一通りのご挨拶を済ませると、お風呂で汗を流して下さいとおっしゃってくれたのでご厚意に甘え一番風呂を使わせていただきました。

 

その後はおばあちゃんとご両親、そして私とで楽しい夕餉となりました。

 

「大したおもてなしもできないのですが、いっぱい食べて下さい。」

 

と、おばぁちゃんはおっしゃっていましたが、最高のおもてなしで、新鮮な山菜尽くしの料理の数々と飛騨牛という、私からしたら滅多に食べることのできない美味しくて心のこもった料理が嬉しくついつい飲み過ぎてしまいました。

 

そして、今日のお酒は飛騨古川の銘酒“蓬莱”です。

 

最後の晩の夕餉は心に染み入る素敵な時間となりました。



(あずきな)


(こしあぶら)

(うど。全部裏山で取れたばかりの山菜達です。野菜は畑で栽培されたものですが、山菜は山に自生している天から恵み)


(山菜は天ぷらが旨い!)


(おひたしは最高!)

(こしあぶらは初めて食しましたが、クセになる旨さ)


(飛騨古川の銘酒といえばやはり“蓬莱”は外せません。)