“昭和16年夏の敗戦” 猪瀬直樹著 読了

 

先の“大戦”(太平洋戦争といったらいいのか、大東亜戦争といったらいいのか?)が始まる頃、当時の日本に、内閣直属機関として“総力戦研究所”なる組織が発足されていました。

 

そこには平均年齢33歳の最良にして最も聡明(ベスト&ブライテスト)と呼べる官民の若者35人が全国各地から召集されていました。

 

 

彼らが招集された理由は、彼らで模擬内閣を作り、あるテーマについての論議と結論を導き出すことでした。

 

それは

 

「日本とアメリカが開戦した場合、日本はどうなるのか」

 

という命題でした。

 

そして彼らの導き出した結論は

 

「日米戦争日本必敗、内閣総辞職」

 

というものでした。

 

これは実在した組織の真実であり、もう一つの“内閣”が導き出した歴史の表舞台にでることがなかった大戦の机上シュミレーションでありました。

 

本の内容を説明しだすと長くなりますので、当時の陸相であった東条英機がこの結論の説明受けたときの場面をご紹介したいと思います。

 

引用開始

 

飯村所長の講評が終わると、二日間にわたり克明にメモをとっていた東條陸相が立ち上がった。(中略)

 

前田は、東條の表情が蒼ざめこめかみが心もち震えていたように記憶している。

「東條はいったいなにをいう気だろう。」

研究生たちは緊張した。以下の東條発言はどこにも記録されていない。

 

研究生それぞれの記憶の奥底にしまい込まれていたものを重ね、総合し、ほぼ正確に復元させたものである。

 

「諸君の研究の労を多とするが、これはあくまでも机上の演習でありまして、実際の戦争というものは、君たちの考えているようなものではないのであります。

日露戦争でわが大日本帝国は、勝てるとは思わなかった。

 

しかし、勝ったのであります。

あの当時も列強による三国干渉で、止むに止まれず帝国は立ち上がったのでありまして、勝てる戦争だからと思ってやったのではなかった。

 

戦というものは、計画通りにいかない。

意外裡なことが勝利につながっていく。

したがって、君たちの考えていることは、机上の空論とはいわないまでも、あくまでも、その意外裡の要素というものをば考慮したものではないのであります。

なお、この机上演習の経過を、諸君は軽はずみに口外してはならぬということであります。」

 

「それにしても」と前田は怪訝に思う。

「どうして狼狽しているのだろう。だって、これは架空の話じゃないか。そんなことにいちいち念を押すなんて、どうかしているよ」

 

 帰り際、新聞記者の秋葉<情報局総裁>は、持ち前の勘で<青国閣僚>たちに解説してみせた。

 

「東條さんの考えている実際の戦況は、われわれの演習と相当近いものだったんじゃないのかい。じゃなければ口外するななんていわんよ」

 

研究生たちには思いあたることがあった。

演習の間、しばしば東條陸相は、総力戦研究所の講堂の隅に陣取り<閣議>を傍聴していた。

 

そういうことが一再ならずあった。 東條は総力戦研究所の本来担うべき役割について、深い関心を寄せていた数少ない首脳の一人だったからである。

 

引用終了

 

 

当時、東條は陸軍の重鎮であって、総理大臣ではありませんでした。

このときは主戦論者でありましが、その後総理大臣という命を受けてからは、戦争を望んでいない天皇陛下の忠臣として「和平の道」を模索します。

 

しかし、時代の空気感の前にどうにもならず、開戦を決意し、あの悲惨な戦争へと突入するに至ったわけです。

 

総力戦研究所の導き出した「日本必敗」という結論を、総理大臣就任前の東條もじつは感じていたと思われます。

 

しかし、もう一つの有能な若手“内閣”が導き出した結論は表舞台に出ることなく抹殺されました。

 

結果として、彼らの導き出した結論は、真珠湾攻撃と原爆投下以外はその後の現実、戦況とことごとく酷似していました。

 

 

この猪瀬直樹氏の著書は、非常に読み堪えのある一級品のドキュメンタリーであり、あの大戦が単に軍部の暴走が原因という単純な構造のものでなかったことが分かります。

 

また、戦犯の汚名を着せられてきた東條英機総理大臣についての猪瀬直樹氏の分析は、公正な視点であることも印象的です。

 

現在の政界、官僚組織、そしてあまねく多くの企業についても、正しき論理が予定調和的空気感の前で押し流されていく現実は、当時と変わらないと思えます。

 

現代社会にも大いに通ずる示唆に富んだものがあると実感しました。

 

当時の東條内閣は5060代のしがらみに生きる世代でした。

その世代が“有能”な若い世代を失望させるという閉塞感は、いまだ日本社会に漂っているように思えます。