寒い。
真っ暗な闇に音一つ聞こえない世界。死んだような感覚になりかけたが、頬に冷たい物が落ちてきて、意識がスゥっと戻される。
雪……か?
払おうとあげた重い手は勢いよくひかれ、屈託の無い笑顔が目に飛び込む。
サエのバックには見たこともない満点の星空。
そしてそこから星が降ってくるように、まっ白い雪がはらはらと舞い落ちていた。
それは夢のように美しく、幻に思えて……
やっぱり死んでしまったのかと思うけど、そんな勘違いは目の前のコイツが許さない。
奇声をあげて飛び上がり、着地とともにガッツポーズ。こんなテンション高いサエなかなか珍しい。
まぁ、無理も無いか。
サエが手に握っている紙屑。
それは瓦版で元治元年、一月二十三日と書いてあった。
そう、私たちは本当に時間を跳んだんだ。
「何してるの?」
誰もいなかったはずの背後からいきなり呼びかけられ、思わず腰をぬかした。サエがスッと前に出て、サエの肩越しに見たもの……
それは浅葱色の羽織を着た男。
降ってくる雪のように白い肌に、どこか悲しげな瞳。
でも一番目を引くのは……
まだ新しい血だろう、するすると刀をつたって土に浸み込む。
でも私たちの警戒心なんかまるで興味無いみたいに抑揚の無い声で
「変なかっこ……」
そう呟き刀の血を拭いて戻した。
「新選組?」
つい口に出してしまい、ハッとしたのは遅かった。サエが苦い顔をしたのが後ろからでもわかった。動揺して逃げようとサエのワンピースの裾を引いたが、目の前の男はいたずらな笑みを浮かべてこう言った。
「着いてきなよ。」
「え?」
間抜けな声で聞き返してしまった。この人は何言ってるの?
どう見てもへんちくりんな格好してる女二人を……
いや、だから幸か不幸か興味を持ってもらえたのか。
「服がいるでしょ?」
「え~?いいんですかぁ???」
仔猫のように媚びた声でサエはお礼を言いながら、すでに歩き出した男の後を着いていく。
前を行く二人の背中をまだぼおっとした意識のまま眺めてた。羽織袴に刀を挿した剣士の隣を歩く私の親友。
実感湧かなくて当然か。
「ここだよ。」
そう言って小さな裏口から屋敷の中に案内された。砂利にヒールをサクサク沈ませながらできるだけ身をかがめて言われるまま付いていった。
そんな私たちの気配に気づいた男が、庭をはさんだ離れから怒りの拳を握りつつ見ていた。
部屋に入るなり着物や布団をぽいぽい投げ渡され、さすがのサエも困惑の色を隠せず男に問いかけた。
「泊っていいの?」
すると男はくるりと振り返りざま、
「もちろん」
と笑った。
そしてこう言った。
「僕は一番隊組長沖田総司、よろしくね。」
沖田……
まさかと茫然と立ち尽くす私の目の前の襖はスッと閉じられた。私……
名乗ってない。
「サエ、」
振り返るとなにやら難しい顔をして唇をさすってる。
そうか、サエだって初めての経験、予測だってできなかったろう時代、何から何まで頼り切っちゃ駄目だ。
私は服を脱いで寝巻きを羽織る。そして足もとの布団をつかんで並べて整えた。
それを見てサエが噴き出した。
「何順応して寝ようとしてんの!!笑」
サエが笑った。
それだけでなんだか私の不安は不思議とふんわりした綿みたいに変わって消えてく。
見上げた天井には電気が無く、やっぱり時間を跳んだんだと考えさせられる。
私たちがいなくなって元の世界はどうなってるんだろ、
そして、
これからどうなるんだろう……
そう思った瞬間冷たい手が私の手のひらをキュッと掴んだ。小さな冷たい手。
サエ……
隣を向くと、笑ってた。
「大丈夫」
どうしてこんなに……
わかってくれるんだろう。サエだって不安なはずなのに、どうしてこんなに私なんかを思いやってくれるんだろう。その言葉をもらえただけで、私はビルからジャンプした後悔なんて簡単に吹っ飛ぶ。
「サエ」
涙を我慢しながら呼びかけると
「……あ?」
聞こえてきたのはスウスウと規則正しい寝息。
のび太かよ!!!
まぁいいや、コイツの眠りの速さは毎度のことじゃん。私も嫌な想像が浮かばないうちに寝ちゃわなければ!
だが寝ようと思えばどんどん眠れなくなるのが私。
う~ん……
う~ん……
駄目だ!!!
布団をはいで立ち上がる、ト……トイレ。
サエを起こしたかったが、気持ち良さそうに眠ってるのでさすがに無理だった。
忍び足で廊下に出ると、思わず感嘆の声ががついて出た。
目に飛び込んできたのは舞い散る雪。
月明かりに紫に染められた闇からはらはらと落ちてくる。誘われるように庭に出た。
手を差し出すと、粉雪が落ちてはひやりと消えてった。
なぜか涙が頬を伝う。
「違う。」
ハッと振り返ると向かいの廊下に長い髪を一つに束ねた厳しい表情の男が立っていた。
怖くなり後ずさろうとしたが、庭に下りてきた男がどんどん近くなってくる。
顔のはっきり見える距離に来ると思わず見惚れてしまった。切れ長の奇麗な瞳に捕われ動けない。
そうこうしていると白い手が伸びてきて私の襟元を掴んだ。
「なっ!何するんですか!」
思わず大きな声を出すと、鬱陶しそうに溜息をついてこう言った。
「こっちが上だ。」
「え?」
そして襟を左右組み換え終わると軽くポンと叩いて、また来た道を戻って行った。
あ、お礼……
気付いた時、もう姿は無く、私は少し熱い胸元に手をあてた。
アロマの落ち着いた香りが漂い、静かなジャズが流れる店内。
リラックスチェアーの上の私は瞼の上のパーマ液の鬱陶しさを忘れるように、ウトウト眠りについていた。
「マリちゃん!!!」
突然の大声に思わず開けてはいけない睫毛パーマ中の目を開けてしまった。
このゆったりした空間に似つかわしくない声の出所がキラキラした大きな瞳で、仰向けの私の顔を覗き込んできた。
「……どうしたの?」
睫毛パーマの状態を気にしながら私はサエの瞳から目を逸らす。
だってこの目はよくない。
経験上、長い付き合い、多数の被害、全てが物語る。
今のサエにまともに絡んではいけない。
例えばこうだ。
前にこの目を見た時、彼女は人間は物理的に(気持は無視して)同時に何人と付き合えるか、研究に付き合えと私を8日連続で連れまわし13人の彼氏を作らされた。(ちなみにサエはもともと8人いてそこから10人足した)毎日鳴り続ける電話、一日数回のデートの食事で太る体。そしてクリスマスになりサエはこう言った。
「いけると思ったけどあかんなぁ。クリスマスは二日や。物理的に回しきれへん。」
アイフォンのスケジュールを色のない目で見つめながら最後の一言。
「ほな解散。」
この一言で私の地獄の一ヶ月はあっけなく幕を閉じた。
最近では銀座のクラブのお姉様が出してるモテ本、それを片手にこう言った。
「私後ろからやるからマリちゃん前から試してって。」
「……は?」
「100あるから手わけしよう。」
「……は???」
「ホンマにこれ当たってるか気にならへんの!」
DGのヒールの小傷をさすりながら怒られた。
……な、なりませんけどぉ!?
しかし付き合う私。
理不尽な要望に思えるが私にはちゃんと聞こえる。
「マリちゃん遊んで!遊んで!」
だって、この子は私のたった一人の
ともだちだから。
「マ~リちゃん!!!マリっち!!!」
「……。」
サエの方を向いた。
「私ちょっと図書館行ってくる。」
「え?この後のレセプションパーティーは?」
「ゴメン!もっとおもろいこと思いついてん!」
そう言って長いお気に入りのブランドのコートをさらっと羽織り、
ほな!と軽い言葉を残して去って行った。
「……ほ、ほな。」
夜中の四時、ベッドの上に大きな子供が飛び乗ってきた。
眠たい目をこすりながら思い体をおこしたら
床に大きな音をたててワインのボトルが二本転がり落ちた。
「……あ。」
気まずい色が浮かんでいるであろう自分の瞳をサエから逸らす。
「のっみすぎ!!!」
頭をパシッとはたかれ、あっけなく話題は変わった。
「明星の新枠経典を読んでてんな!」
みょう……?
「日本の神話にはまって調べててんけど」
忘れてた。一見派手で軽薄そうなこの女の趣味は多岐にわたる。
ファッション、政治、経済、物理学、……言い出したらキリがない。
そして今度は神話?宗教?
もう何でもこいよ。
聞く体制を整えてサエと向かい合ったが、
「これがびっくり!経典にアインシュタインの相対性理論に似た内容……いや、つまりそのものが、うんたらかんたら」
……やっぱ、無理。
シラフでも寝起きでも理解はできなかっただろうけど。
「つまり?」
冷蔵庫から冷たいシャルドネを引っ張り出しながら私は簡潔な答えを求める。
「物理的にタイムトリップは未来に限り不可能。」
「うん。」
わかりきったことを何?証明がはっきりできたことが凄いのかな。物理全くわかんねえよ。
「つまり過去には行けない証明が無い。プラスこの明星の経典とアインシュタインの相対性理論!」
「も~!何言ってるかわかんない!」
その時グラスをはたき落すように奪われサエの顔がぐいっと目の前にきた。
「過去に行ける方法があるの。」
え?
時速110キロ、車のハンドルを握るサエの横顔は変に落ち着いていて、私はなんだか不安になる。
こんな時のサエはたいてい……
「よっしゃ行こ行こ。」
車から引きずり降ろされた場所は、この街で一番高いビル。ヘリポートまで何箇所かカードを通してたどり着いた。
冬の四時過ぎ。まだ真っ暗で機能してないこの場所はライトもなく本当に真っ暗。
まるで闇の空間を、ただ虚無に歩き回っている変な感覚。
不安で足がすくみ立ち止まりそうになると、小さな冷たい手が私を引っ張った。
不思議とさっきまで感じていた不安が消し去る。
呪文のようにさっきのなんとか理論を私に説明しながら端へ端へ進んでく。
「こっから落ちれば」
「はぁ!?」
ちょっと待って!酔いも魔法も全てぶっ飛ぶ。
「あんたまたヤッてんの!?」
強く睨みつけたら肩をすくめて首を横に振った。
「あ、……ゴメン。」
もう昔の話。昔のサエ。信じてたのに平気で疑ってしまった自分に心底嫌気がさす。
「でもそれって失敗したら……」
私が頼りない声でサエの後ろ姿に呼びかけると、振り向いたサエの表情は胸が痛くなるほど悲しい色をしてた。
私たちの関係を人にすぐ分かってもらうのは不可能だ。
わかり易い堕落した私たちの人生ならどうだろう。
それもおいおい語っていきたい。
機会が与えられればだが。
私たちは漆黒の闇に飛び込んだ。
冷え切った手をつなぎあいながら。









