元村正信の個展が福岡市中央区大手門2-9-30-2F・EUREKA(エウレカ)で6月13日(木曜日)までの会期で開催されている。前回のアートプロGARAでの個展が2022年の10月からだったので、1年8か月ぶりの個展のようだ。

 そこで、私は元村の絵を見るため、本当に久しぶりに福岡に出かけた。すると建設中であった天神地区の再開発ビル群は、まだ営業はしてなかったが、完成間近という感じだった。ビル群は高さが以前よりかなり高くなった感じで、それらビルが空を覆い、天神も随分鬱陶しい街になってしまった。

 元村の個展が開催されているEUREKAは、大手門2丁目の大手門郵便局の二階のマンションの一室にあり、天神からは歩いても行ける距離だった。近くには道を隔てて浜の町公園や法務局などがある。

 

ルオー ミセレーレより 貌に皺を描かぬ者はいようか?

 

 ところで、私は、最近過去に関心を寄せた画家の画歴を、世界史の本などを傍らに置いて、自分なりに洗い直す作業をしている。そのきっかけはセザンヌであった。日本での画家セザンヌのイメージは画一的で変人で人嫌いで統一されている感があり、セザンヌ本人の肉声は全くと言っていいくらい我々の耳には届かない。そこで残された資料から、セザンヌの生の声や心を探る試みである。成果はそれ程ではないが、そのような作業をすることで自分なりのセザンヌ像が浮かび上がる。それは世間に流布しているイメージとの差異もあり、そのことに新鮮な驚きや感動を覚えている。

 同じような試みを今、20世紀最大の宗教画家と言われるジョルジュ・ルオーについても試みていて、私の関心は最近ルオーに集中している。

 元村正信はルオーをどのように捉えているのだろうか・・・?元村にとっては迷惑なことかもしれないが、以上のような次第で、私の今回の元村正信展を見た感想はルオーの画業と関連付けて、あるいは、ルオーのフィルターを通してということになるが、その点ご理解いただきたい。

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 会場であるEUREKAは、マンションを改装して造られたようで、どこか銀座の貸し画廊の雰囲気がある。しかし、外に面した壁には開閉できる窓があり、少し開けられた窓からは5月の季節らしい陽光と、心地よい風も入ってくるところが東京の画廊とは違う。

 今回の元村の個展では、程よい広さのEUREKAの空間に1900×1410mmの大作平面絵画4点と、1300×970mmのやはり平面絵画2点、それに11点の小品を展示していた。いつものように効果をしっかり計算し、すっきりとした美しい展示の様子であった。

 並べられた大きなサイズの作品を見て、1年8ケ月前のアートプロGALAの個展での作品を思い出したが、今回の作品はその時の延長線上にあり、より進化(深化)発展させたものであると理解すればいいのではないだろうか。コンセプトに統一感があり、光に満たされた空間に、よく吟味された形が心地よく配されている。そんな画面の様子は、何故か絵を見る者を幸福な気持ちにさせてくれるし、元村により創られた宇宙を見ている感じだ。

 

 

 以上のように絵を見た感想を書いてはみたものの、果たして自分は元村正信の絵を正確に見ているのだろうかという曖昧で不安な気持ちも残る・・・・・・・・

 というのは今回の個展でのタイトルである「沸騰する荒野」が大変気になるからである。

 私はいつも元村正信の言語感覚には驚き、感心させられる。その言葉はいつも過激で、読者を煽る。そして突っ走っている!言葉と言葉の間に整合性があるようでない。逆にないようである時もある。

 私もメインタイトルである「沸騰する荒野」に煽られ、暫し自分を見失いそうになっていた。だが、冷静になって再び絵を見てみると、そこに過激さはなく、あるのは均衡と深さへの強い憧憬であり、長い経験で蓄積された確実な技術と多少の事では動じない知恵であった。

 

 

 

ルオー  聖書風景  油彩

 

 

 

 

 画家にとって、何を描くのかと、どの様に描くのかは、永遠の課題かもしれない。今の私にとって、関心の大きな部分を占めているジョルジュ・ルオーにとっても、それは大きな問題であったに違いない。

 ルオーの画業でまず私が思い浮かぶのは、国立美術学校でギュスターブ・モローに師事した頃に描いた宗教的で奥深い世界の表現である。しかし、それ以上に衝撃的なのは師であるモローが亡くなった後の1902年から、ほぼ1914年までの作品群である。それらのほとんどは、紙に水彩とグアッシュを用いて娼婦、道化師などが叩きつけるような激しい筆致で描かれていて、ルオーの怒りやその表現の過激さに度肝を抜かれる。しかし、それらとて私はルオーの表現に意図的なものより、押し寄せる現実に素直に反応した結果のように思える。

 1912年の父親の死や第一次世界大戦の悲劇をきっかけに始められた「ミセレーレ」の制作は、1927年まで続けられた。同じ頃油彩画の制作も再開されるが、キリストが登場する宗教的な題材をテーマにしたものが多くなる。また絵具を何重にも塗り重ね、色彩は華やかで鮮やかになった。

 「ミセレーレ」やそれに続く油彩の仕事を、日々誠実に継続する過程で、あれほど激越だった感情は浄化されていった。ルオーの父は高級家具を作る職人だったようだが、ルオーにもそんな職人としての生き方がしっかり踏襲されているように思う。

 ところで、戦後の世界美術をけん引してきたアメリカの現代美術は、性急な弁証法的発展と膨張するマネ―に踊らされ空中分解してしまい、その存在は今、見る影もない。そのためアメリカの現代絵画を強く意識して、制作に励んできた多くの画家が目標を見失っている。また、今のアメリカはほんの一部の者に巨万の富が集中していて、その矛盾が大きな問題になっている。さらに最近はアメリカの戦後支配の欺瞞が多く暴かれ、世界のリーダーとしての資質に疑問も呈されている。美術も含めて、世界は混とんとした闇の中にある。

 

 

 さて話を元村正信に戻す。元村正信は福岡のアートシーンのリーダーの一人として、常に変化を求め果敢に挑戦を繰り返し実績を積んできた。しかし、ここ数年の元村の仕事を見ると少し様子が違うと感じる。今後の元村の進路はだれも予測できないし、本人すら分からないと思う。それでも今までのように変化を求めて突き進むにしても、自身の絵画世界の充実や深化を追求する方向に舵を切る場合も、ルオーの生き方はある示唆を与えているように私には思える。