年が明けた1月5日から1月13日まで、北九州市門司区柳町1-4-20にある画廊喫茶こもれびで、洋画家近藤克美の作品展が開催された。この展覧会は既に終了しているが、印象深い展覧会であったので感想を書いてみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 私が洋画家近藤克美を知ったのは数年前で、門司の画家土田恵子さんに紹介していただいた。場所は北九州市・市立美術館の、アネックスであっていた九州制作会議展の会場だったような気がする。その際、土田さんが近藤克美をどのように紹介してくれたのかを思い出しているが、記憶が曖昧である。ただ著名な山口県出身の画家であった松田正平の名前を出されたのを覚えている。きっと率直な土田恵子さんの事であるから「近藤さんは松田正平に負けないようないい絵を描いている。」と言って、ひき合わせてくれたのではなかったか。

 

海へ行く道 F4  油彩 2009

 

 

街路(冬) F4 油彩  2014

 

 

 

六月の空  F6  油彩  2011

 

近藤克美の画集より

 

 

 その様なきっかけで知った近藤克美であるが、縁があるようで、それ以降も、近藤克美の個展には必ず出かけているし、街中のたまたま入った画廊で近藤克美の絵に出くわすこともある。また、本人とは、会った時は言葉を交わす。

 近藤克美は存在そのものが、鬱陶しくなく、やさしく親しみ深い。そして私のように気難しくもなく、勿体ぶったところが微塵もない。

 

 

 

 ところで、土田恵子さんが松田正平と比べても遜色がないと説明してくれた近藤克美の絵であるが、私がその真価を理解するのに、少し時間がかかった・・・・・

 何故かと言うと近藤克美の絵に、他の画家の影響がはっきりわかるかたちで散見できたからかもしれない。

 しかし、昨年の暮れに「こもれび」に伺った時、近藤克美の奥様より1971年から2017年までの作品を載せた作品集を頂いた。

 それを見た私は、自身の勘違いを痛感した。そして近藤克美の絵の捉え方の修正を余儀なくされた。

 

 

 

 近藤克美はその出発点から自分が表現したい原形のようなものを持った画家であった。それは原風景と呼んでもいいものかもしれない。だが、それは自身にとっても確固としたものでなく、おぼろげで頼りないものであったようだ。近藤克美にとって絵を描き続けることは、その原風景のイメージを根気強く補強し補完して、明確な形を与える営みだったように思える。

 普通画家はある年齢になると他からの影響を極力排除しようとするし、仮に影響を受けている場合も、その影響を感じさせないように巧妙に糊塗する。しかし、近藤克美はそれをやらない。そして、高齢になった今も、尊敬し憧れる画家から謙虚に学ぶ姿勢を隠そうとはしない。このことは、近藤克美の画家としての良心であると思うが、社会からは、あまりに無防備だと誤解される可能性もある・・・・・・

 

 

 そんな近藤克美がその独特な絵画世界に強く惹かれ、影響を受けたと考えられる画家は、宮崎進、松田正平、織田廣喜、野見山暁治、有元利夫・・・・などではないか。

 これらの画家の中で宮崎進は1922年山口県徳山市生まれである。また松田正平も同じく山口県出身で1913年に宇部市で生まれている。1949年に北九州市の裏門司にある漁村で生まれて育った近藤克美にとっては、この二人の敬愛する画家の出身地は周防灘を隔てた対岸にある。つまり一衣帯水である。この事とも関係があるのか近藤の心情や絵画世界は、何故か二人の画家と深く通底するものを感じる。

 織田廣喜と野見山暁治は共に筑豊の出身だ。そしてこの二人の画家の世界には、どこかほの暗さがあり近藤克美の世界と近しい。

 1946年生まれで1985年に夭折した有元利夫にも大きな影響を受けたが、他の画家とは影響を受けた内容が異なる。近藤克美は有元利夫からはその独特な絵画世界以上に、絵画表現における形が意味するところや絵の完成度の問題を学んだように思える。

 

こもれびでの個展の様子

 

 

 私に近藤克美を紹介してくれた土田恵子さんと、話していると、この近藤克美が話題になることが多い。そして、土田恵子さんが近藤克美の絵をいかに愛し、高く評価しているかが理解できる。素直で柔軟な精神を持っている土田恵子さんは、正統な系譜から少し外れたようなものの中にも、それら以上に意味があり、価値のあるものが存在することを分かっているようだ。私も土田恵子さんに全く同感である。

 

 

 

 

こもれびでの個展の様子

 

 

 近藤克美の絵はどこか暗く、悲しい。人生は楽しいこと嬉しいことばかりではなく、時に悲しいことも起こる。私の歳になると、だから人生なのだと言いたくなる。私にとって近藤克美の絵は、そんな悲しい日の記憶のような絵に思える。