アボリジナルアートの巨匠 

 Emily kame kngwarreyeのこと

 

 カーメ  夏のアウェリェ

 

 私の住んでいる福岡県では、この冬になってまだ一度も雪が降ってない。それでも雨はよく降った。1月の後半は、ほぼ毎日と言っていいくらいに雨だった。時にはあまりに激しい雨音に戸惑い、季節が分からなくなるような感覚になった。こんな不順な天候が続くと何をやるにも億劫になり、展覧会などに出かけることも減り、無為に過ごしてしまいがちになる。

 

 

ところで昨年の127日から今年の126日まで、東京ステーションギャラリーで坂田一男展が開催された。明治生まれの坂田は岡山県出身の画家で、戦前フランスに渡りフェルナン・レジェに師事した。1933年に帰国し戦後は郷里の画壇のリーダーとして活躍し、後進の指導にも当たり1956年に亡くなっている。坂田一男はマイナーな存在で、経済的にも恵まれなかったが、絵は大変魅力がある。とことん突き詰めた絵は厳しく、色彩もよく吟味されていて不思議な色遣いだ。それにマチエールが美しい。是非観てみたかったが、上京することなく会期は過ぎてしまった・・・・・・・・・

 

 

その様なことで今回のブログは適当な題材が用意できてない。そこで、今回も前回同様ピンタレストからテーマを探して書いてみたい。

 

 

ピンタレストをされている方はよくわかると思うが、しばらく続けていると、ピンタレストの方でこちらの関心や好みを勝手に判断し、次々と新しい画像が提示されるようになる。それらは利用者の思惑に合致しているものもあれば、的外れな場合もある。つまり、ある程度の幅を持たせて色々な画像が、現れてくるのである。その緩さ加減が、私のような中毒人間を作り出すための、秘密のテクニックではないかと勘繰りたくなるのだが・・・・・・・?

 

 

 

       アボリジナルアート

 

私の場合は美術の特に絵画を主に見ているが、時々現れる予期せぬものに驚き、関心がそちらに行ってしまうこともよくある。オーストラリアの先住民の手になる多彩なアボリジナルアートとの出会いも、そんな思わぬ収穫であった。また、そのことがアボリジナルアートを代表する存在であるエミリー カーメ ウングワレー(1910頃~1996)の作品を私なりに捉え直すきっかけにもなったし、画像もたくさん収集することが出来た。

 

 

 

    アボリジナルアート

 

オーストラリアの先住民であるアボリジニ(この言葉は差別的な性格があり、現在は使われてない)がオーストラリア大陸にやって来たのは、今から4万年ほど前のことらしい。広大な大自然の中で先住民たちは、ずっと狩猟、採集の生活をしてたようだ。この先住民は読んだり書いたりするための文字を持ってなかったので、絵を描くことはコミュニケーションの手段でもあった。具体的には地面に砂絵を描いたり、ボディーペインティングをしたり、岩壁に絵を描いたりした。

先住民の人々にアクリル絵の具を用いて、キャンバスに絵を描くための指導は、1971年にイギリス人の美術教師によって始められた。このことによりアボリジナルアートが、誕生したとされている。

 

 

 

アボリジナルアート

 

 

アボリジナルアートは「ドリーミング」(祖先から伝わる精霊の旅の話)を表現していると言われているが、実際に作品を観てみると、表現の自由さに驚かされる。具象的傾向の強いものもあれば抽象画のようなものもある。特に他のプリミティブ絵画との違いは、画面構成の囚われの無さが突出していることではないか。シンメトリーなどの法則に拘ることなく、ものが自由な感覚で配された作品などは、鑑賞者も何故か嬉しい気分にさせられてしまう。さらに画面から宇宙的な広がりを感じさせられるものも多いが、これは「ドリーミング」が強く意識されているからだと思う。このように作品が観る者に与えるインパクトの強さを考えると、アボリジナルアートがアウトサイダーアート同様現代絵画に大きな影響を与えたという説にも頷ける。

 

 

 エミリー カーメ ウングワレー

 

ところで、このユニークなアボリジナルアートであるが、先に挙げたエミリー カーメ ウングワレーの作品はその中にあっても際立って特異である。因みに私は多くのアボリジナルアートの画像の中から、迷うことなくエミリーの作品を探すことが出来た。これは少しエミリーの作品の傾向を知れば誰にでもできることだ。

エミリーは天才と言われている。私はこの表現には抵抗があるが、エミリーの色々な傾向の個々の作品を観て行くと、驚異的とも言える「質」と対峙することになる。また精力的に制作した頃の年齢や、その環境のあまりの意外さに心底驚く。

人間は自分の理解の範囲をはるかに凌駕した存在に直面した時、思考停止状態に陥り、「参った!」の意味も込めて『天才』と言うのではないか。エミリーはまさにそのような存在だと思う。

 

 

 

  カーメ  雨の後

 

実は私は以前エミリーの大きな展覧会を観たことがある。今回その時の図録を取り出してみたら、東京の六本木にある国立新美術館で2008年の5月から7月まで開催されていた。この展覧会は強く印象に残る展覧会であった。私は展覧会を観て福岡に戻ったが、もう一度観てみたい気持ちを抑えることが出来ず、再度会期中に上京した。こんなことは初めてだった。

 

 

その時の会場の様子を思い出しているが、何せ10数年たっているので記憶もあいまいになっている。初めにエミリーが絵を描く前に数年間取り組んだバチックの作品が並んでいたように思う。その次が圧倒的な点描による作品群であった。バチックにも輪郭線に強くこだわらないエミリーの特質が、すでに見られるが、次の点描作品では次々に課題を見つけ、それらが大きなサイズの画面に具体的に展開されていて、その迫力に息を呑んで見入った。

 

 

エミリーと他のアボリジナルアートの違いは一概には言えないが、塗り絵とそうではないものとの違いではないだろうか。一般的なアボリジナルアートは輪郭線に拘り、その内側に色を一度塗ったら終わりであるが、エミリーはそんなやり方では満足できなかった。そして、執拗に効果を追求している。点に関してもエミリーはずらしたり、透明感を与えたり、点の上にさらに点を重ねたりして,微妙なニュアンスを作り出すのに腐心している。この追求は点だけではなく、グラデーションや構成でも試みられた。その結果、初めに描いたドリーミングの線が覆い隠されてしまうことだってあった。

 

 

エミリーの点描の大作を前にすると、鑑賞者は気が付くと小さな点になって広大な宇宙空間を浮遊しているのではないだろうか。エミリーの絵には静止した部分がない。すべてが動いている。ある部分は炎のように立ち昇り、あるところではうねり、また他のところではより彼方に向けて、小さな粒子になって拡散している。

 

 

  カーメ   kam(e)

 

 

 カーメ アウェリェ

 

以前は分からなかったが、今回図録でこれらの作品を制作した当時のエミリーの年齢を調べてみた。そうしたら、80歳を超えたお婆ちゃんだった。

学校にも行ったことがなく、文字の読み書きもできない、体の小さなオーストラリア先住民の高齢者が、精妙で無限に大きな世界が表現できるなど、にわかに信じがたいことで、まさに奇跡としか言いようがない。

 

 

     カーメ  アルハルクラⅤ

 

 

          カーメ   無題

 

 

 

 

  カーメ  ヤムイモのドリーミング

 

点描の大作群が私にとっては最も印象に残ったが、それに続くクレー、カンディンスキーや、抽象表現主義のデ クーニングなどの作品を想起させる色彩主義の作品も、ほとばしるような感性と意欲を感じさせた。また、その後のヤムイモを題材にした単色の作品も面白かった。私はブライス マーデンやソル ルウィットなどの、還元主義的な傾向のある現代作家の作品を思い浮かべながらそれらを観た。

 

 

エミリーの作品をこれら欧米のモダニズムの系譜の画家達と比較した時、質の点でそれ程遜色がないと感じるのは私だけではないと思う。これは信じがたいことである。それでもエミリーが残した作品の中に次の時代につながるものは、意外に少ないように私には思えた。

 

 

その背景には、エミリーの支援体制があったと私は考えている。、色々な文章を読むと、エミリーは現代の美術の動きとは遠く離れた場所で、それらの情報に接することなく制作に没頭したように書かれているが、これはエミリーの伝説を作るための巧妙な演出であり、私はまったく信じない。何らかの情報の提供を受け、それにインスピレーションを得て、次々に作品制作を進展させていったと考えるのが自然ではないか。ある意味エミリーには受け身なところもあったと思う。そして、そのことが発展性の乏しさにも関係しているのではないか。今後、その点に関する研究も、是非進めていただきたい。

 

 

水を差すようなことを書いてしまったが、それでも私はエミリーの類まれな天才を疑っているわけではない。

今回エミリーのブログを書く関係でエミリーに関する多くの画像を見たが、その際気になったことがあった。それは他の先住民が絵を描く時は、何人かで絵を囲むように座って共同で絵を描いていることが多いが、エミリーは地面に広げられた大きなキャンバス地の上で胡坐をかき、いつも一人で孤独に制作していた。結婚に関しても最初の相手は親が決めたが、二度目の結婚相手は、エミリーが所属する社会の習わしに反した恋愛結婚であった。エミリーは先住民の中に在って、例外的に高い意識や自立心を持っていた。そのことが天才的な画才を発揮できた一つの要因ではないかと、考えている。

 

 

今では現代美術の系譜の捉え方も綻びつつあるが、依然観念的な理論に支配されている。エミリーの存在は決定的でないにしても、そんなあり方に疑問を呈している。そして、一人の天才の出現がいかに状況を変革させるかの、示唆を与えたように私には思えた。