見て頂いてる方は、自分を生きていますか?
自分を生きていると言えますか?
ぼくは先日、
〝あること〟に気付けました!
それは………
〝自分を生きる〟とはとても難しいように思います!
それはなぜか?
【内観】と【外観】がしっかりと出来なければできないと思うからです!
この意味がわかって頂けるでしょうか?
言葉で説明しようとすると、時に難しいと思うことがあります
ぼくが言葉を知らないからかもしれませんが、言葉では伝えきれない表現があるし、
感覚として感じたことと、言葉にすることは違う気もします。
よく、
『自分の好きな物に身を包むことは自分を大切にしている』と思っていることがあると思います
ぼくも過去にはそう思っていました
しかし、それは単なる思い込みであり、
実は
自分自身で決め付けたブロックやルールに過ぎません!
自分の好きな物を選び、自分の好きな物に身を包むことはとても良いことであると思いますが、それってある意味本当は〝自分の内観しか〟見えていないんです
自分のオーラのような、自分の中の外側から内側しか見ていない、見えていない感覚です!
自分で自分のことを見ているわけではなく、自分の内側にしか意識を向けていない
だから自分の好きな物だけをチョイスしていることは、それだけ狭い価値観、小さい意識の中で生きているということなんだと思うんです。
自分を生きているようで、自分しか生きていない空間
空間のようであり、自分という領域の中でしか生きていないような感覚
それって、自分を生きているようで〝自分を生きていないことに気付いていない〟ということだと思います
それは自分の好きな物を選択して、内観しかしていないからですよね。。。
自分を見ているようで、自分を視ていない……
自分を視るということは、外観ですよね!
自分を、一人の他人のように見て、別人だと認識すること!
見ているのは自分だけど、自分ではない感覚を自分で意識しなければ本当の外観として視ることは出来ないと思います
自分の声を録音して、後でその録音した自分の声を聞いてみると『自分の声ってこんな声なんだ』と不思議に思えたり、恥ずかしくなることってありますよね?
それは
耳で自分の声を視るという感覚!
それと似ていることで、
外観とは、自分を視ることなんです!
自分を視るということが出来ていない人は意外と多い
そのことに気付けていない人がほとんどだから。。。
鏡で毎日ずっと自分のことを見ていたり、1日中自分のことを見ていれば理解出来ると思いますが、そんなことなかなか出来ませんよね
自分の顔、身体、姿勢、立ち方、歩き方、仕草、クセ、人との接し方、態度、話し方
自分のことだから自分が1番わかるわけではなく、自分のことだからこそ自分が1番自分のことを見ていない
自分の目は他を見ているから自分を見ているわけではありません
〝自分のことは自分が1番気付けない〟
だから自分の好きな物に身を包むということは、自分のことが見えていないと言えると思います。
では、外観で自分をしっかり視るためにはどうするのか?
答えは簡単!
自分を客観視するんです!
そのための道具として、スマホで自撮り、自分の動画を撮ってみればわかるようになります
スマホのカメラが自分の目となり、自分を客観的に視ることが出来るようになります
ですが、1度や2度ではわかりません!
自分を視るために自分を知り、自分のことを見つめ直したいのなら、とりあえず毎日やり続けてみてください!
毎日やり続けなければわからないと思います
それが1週間なのか、1ヶ月なのか、1年かなのかもわからないけどとりあえず毎日やり続ける
期間をハッキリ言えないのは
人によって感じ方は様々だから!
1週間でわかる人もいると思うし、1ヶ月ではわからない人もいるかもしれないし、1年かけてわかる人もいると思うからです
ぼくもある時からわかるようになったので、いつからなのかは覚えていません
でも、期間という概念があると気付けることが気付けないようにも感じます。
【内観】と【外観】
ぼく自身、自分を生きているとは言えないこともあるけど、多少は出来ている実感はあります
まだまだですけど……。
そこで、先日新たに気付けたことが
意識は共有出来ないということは大分前に気付けましたけど、
今回は〝思い出も人とは共有出来ない〟ということです!
悲しいことのように聞こえますが、それは当たり前だと気付けました
人は小さい頃の記憶、学生や社会人になった時の記憶、大人になってからも
記憶の覚えていることは断片的なことで、全てのことを覚えているわけではありませんよね?
その覚えている記憶の断片は、人によって違うことがわかったんです!
でもそれは当然で当たり前でもあると思います!
『自分が覚えてるのに、相手は覚えていない』
そんなことを人に思ったり、言ったことがあると思いますが、それは人それぞれ感じ方が違うからこそ当たり前!
自分が相手と同じ感じ方をするわけがあるわけがなく、感じ方が違うから同じ記憶をストックするわけではありませんよね
自分が強く感動したことや楽しく歓喜したこと、困ったことや1番辛く悲しかったことは自分のメモリーの中にしか残らない断片!
だから自分と同じ時間、空間、環境を過ごした相手がいたとしても、同じメモリーとして残ることはないわけです
人それぞれだから、みんな違った記憶が残っている
そのことにふと気付けたんです!
自分が楽しいと感じたことは人は楽しく感じないかもしれないし、
自分がつまらなく感じることは、人は楽しく感じるかもしれない
だから人から〝ズレている〟という表現をぼくはよくされてきましたが、ズレているのが当たり前のようにも感じてしょうがないんですよね
人と同じわけがないのだから、ズレていることはむしろ正しいことで変なことではない!
笑いのツボがズレているというのも感じ方の問題だし、異性の好みなどが合わないのも当たり前だし、食事や時間の使い方、生活のリズムさえも合わないこともあるのが普通
それがわからず、ただ人に合わせている人はそれが当たり前のようになっているから内観も外観も出来るわけがないし
それが当たり前となっている人は逆に、人と合っていないこと、合わせていないことに嫌悪感を抱いたり変人扱いしたり軽蔑したりもする
でもそれは、自然なことで合うこともあれば合わないこともあるのがごく普通!
合わせる必要はなく、自分が合わせたいのなら合わせればいいし、合わせたくないのなら合わせなければいいこと!
合っていたと思っていても、そのうち合わなくなることもありますよね
〝自分の内はどうしたいのか?〟
外観だけに目を向ける、意識を向けるのではなく、内観にもしっかりと目、意識を向ける必要があると思いますし、
その内と外のバランスはとても大事で、しっかりとその対比を自分でコントロールすることも重要であると思います。
それが自分をしっかり生きるということだと思うし、自分をちゃんと大切に扱うということですよね!
出来るのか出来ているのかはわからないけど、自分との対話、自分に気配りしていけば気付けることはたくさんあると実感しています
そんなことを先日ふと気付けました……。
最近、ふと気付けることが増えてきた気もする………。

美は、
☆心から輝かせてくれる天使からの贈り物☆