発作が出てTVで悪い意味で不安神経症の特集を目にした母。

とにかく早くお医者さんに行かないと、早くこの苦しさから解放されないと、赤の面倒も見れない・・・と思った。

 

ドアを開けて外の空気に触れるだけで息が苦しくなるし、1人が怖い。

赤は6か月になって外に散歩にも連れていきたいのに、50m先の自販機にも行けない状態。

 

20数年前、ネット環境はまだまだで、精神科(心療内科とか神経科との区別がわかってなかった)を探すのに、電話帳しか手が無かった。

調べるのに1か月かかってしまった。

 

というのも、旦那に調べてほしいと言っても「気のせい」で終わって、病気になった事を認めてもらえなかった。精神科だから余計。旦那は見て見ぬ振りをするタイプだった。

母が自分で電話帳をめくってみても、1ページ目から息苦しくなる。

電話帳で調べる事も怖くて、少しずつページを進めていってた。

「病院」までたどり着くのは時間がかかりすぎた。

 

「病院」の前に「美容院」のページがあったのだけど、美容院でいつも手が止まってた。

その先に行くのが怖い。ほぼ毎日発作を起こしていて、早く診てもらわないといけないのに、「病院」の文字が怖かった。「美容院」までいって電話帳を放ってしまう日が続いた。

 

なんだかもう死んでもいいや・・・という気持ちになって(電話帳を死ぬ気で見てたから)やっとたどり着いた、病院のページで個人医院を探した。旦那が入院設備のあるようなところに行かせてくれるわけはない。それに母も大きくて広いとこは怖かった(広場恐怖症)

 

個人医院で内科・神経科・精神科の広告を出してるところがあった。

内科が入ってるから行きやすいかも・・・と、旦那の休日に赤を預けて行ってみた。

勿論、一緒には行ってくれない。タクシーを呼んで一人で行った。

タクシーの運転手さんが話好きな方で、母が引っ越してきてあまり出かけてないので、これから行く医院の事も知らない、と言うと、近くの市の病院から移ってきて個人でやってる、評判もいいとこですよ、と教えてくれた。

 

運転手さんがずっと話していてくれたので、その間は緊張はあったけど発作は出なかった。

 

ほんとに小さな個人医院で受付が人の良さそうな男性だった。

ドクターはおじさんだった。この頃はまだ、不安神経症とパニック障害が一緒になっていて

母はやはり不安神経症と言われ、薬を出してもらった。

 

名前は忘れてしまったけど、小粒の錠剤1種類だけだった。

「これでほんとによくなるのかな」と思いながら、一番近い駅まで行って、タクシーに乗って帰った。

 

帰りのタクシーが医院に行く時呼んだ、タクシーの運転手さんだったのは驚いた。

今思えば、タクシーの台数が少ないとこだったんだろう。

 

初めて発作を起こしてひと月経ってやっと治療にかかった。

薬を服用するだけだったけど、これで赤との生活も赤中心で楽しくすすめられると単純に思ったのは、すぐに間違いと気付いた。

病はそんな甘くなかった・・・