旦那は5/11に旅立ちました。
癌性髄膜炎と診断されてからの
頑張った記録です。
4/5この日はCTと
オプジーボ投与の日だった。
癌性髄膜炎でふらつきがあるので
車で行くことにした。
駐車場が混んでいたので
CTの時間が迫っていたので
旦那に先に受け付けに行ってもらった。
癌性髄膜炎の診断をしてもらった娘の病院から
こちらの病院へ連絡が来ており
旦那は病院の受付を済ませいきなり
外来診察室へ呼ばれ
緊急入院となった。
癌性髄膜炎、
それほどヤバイものだった。
とりあえず入院して
脳のMRI
そして、放射線の全脳照射。
点滴で、脳圧を下げる薬とステロイド
を投与することになった。
旦那には髄液の中に
癌細胞が見られ
癌性髄膜炎と診断された。
と、主治医の方から説明があった。
が、この時は旦那は
全脳照射をすれば治ると
思っていた。
その後、主治医から今後の話を
面談でされた。
その時は私と長男の二人できいた。
話の内容は、
癌性髄膜炎は非常に予後が悪い。
放射線の全脳照射をするが
あくまでも病気の進行を
遅らせるものであり
治らない。
副作用としては
いずれ痴呆がでることがあるが、
それまで生きることは出来ない。
余命はいくらもないことを
告げられた。
だから、この先のことを考えてくれ。
と。
この先は緩和ケアのことで
癌性髄膜炎の場合は
在宅はほぼ無理だと思うので
緩和病院をもう探してくれ!
と、いうことだった。
私としては、これから放射線治療を
するところなのに、
治療を頑張るっていっている旦那に
緩和の話はまだ出来ない。
と、主治医たちに話した。
今思えば緩和病院は
すぐにはいれなくて
入るためには面談や
本人の同意が必要。
スムーズにそちらに行くには
早くから本人の同意が必要になる。
が、実際問題
いきなり
癌告知時よりも
リアルな余命宣告!
私も受け入れられないが
旦那はもっと受け入れられないと、
思った。
だから旦那への緩和病院へのすすめは
もう少し待ってもらうことに
してもらった。
主治医の話を一緒に聞いていた
長男は初めから最後まで
号泣していた。
「今は泣く時じゃないよ!」
と、長男に言いながら
私も泣いてしまった。
すると、主治医が
「泣いてもいいよ。」
って。
こんな感じで最後の入院生活を送ることになった。