癌性髄膜炎診断までの経過 | まぷこのつぶやき!旦那の食道胃接合部癌(胃癌が食道に出来た癌)に負けない!

まぷこのつぶやき!旦那の食道胃接合部癌(胃癌が食道に出来た癌)に負けない!

2015年5月4日!いきなり旦那が血をはいた!救急搬送!即検査入院!
病名(食道胃接合部ガンステージⅣa)
どうなる?どうする?

さかのぼること2/19

朝、目覚めてから旦那は

ものすごいめまいと

おう吐がが起こった。




今までに無い身体の不調!

一体何が起こっているのが知るよしもなかった。




治療をしてい病院へ電話をして、

状況説明し、

午後になっても落ち着かないので

近くの脳外科へMRIを取りに行ってくれとの指示。

そこでの診断は脳はなんともないとの事。




翌日耳鼻咽喉科。

そこで、突発性難聴との診断。

近くの町医者で、そこ
では治療は出来ないと

大学病院を紹介された。


そこでは入院を勧められたが

ベットが空いていないので

他の病院を紹介され
たが

旦那は入院が嫌なので薬で治療をすることを望んだ。


2週間薬を服用したが改善されず

高気圧酸素療法を行っている

別の病院を紹介された。




そこでは10回高気圧酸素療法を行ったが

一向に突発性難聴はなおらなかった。



次に鼓室内ステロイド注入療法を

行っている病院を進められ

そちらに行くことになったこと。


その頃から顔面麻痺の症状が出てきた。


ステロイド鼓室内注入を4回行ったが効果はなかった。




効果が無いのは当たり前だ。

元々突発性難聴ではないのだから。




今思えば2月初め頃に旦那は

体調不調を訴えていた、

それは気持ちがわるいことだった。

いわゆる吐き気。

だけど、吐くまではなかった。

ムカムカした感じ。



その時は単なる副作用もしくは

体調不良としか考えられなかった。




オプジーボの治療も上手くいっており

原発の癌も転移している副腎も

大人しくしていたので

治療は上手くいっていると思っていた。

まさかこんな落とし穴があったとは。



その時は突発性難聴だと思っていて

はっきりいって、

病院をたらい回しになっていたので

嫌気がさしていて、

一向によくならないので

ゆっくり治療をしてくれる

病院を探していた。




千葉の大学病院で
看護士をしている娘に

都内で癌でも治療を

してくれる病院を知り合いの先生なら

どこか知らないか?聞いてみた。






娘が病院の耳鼻咽喉科のボスに

父親の細々とした症状を

説明したら

それは突発性難聴ではない。

原因を突き止めるために

僕が診察するから千葉まで遠いけど連れてこれることは出来るか?


と、いわれた。

翌日すぐに千葉の大学病院で

検査を行ってもらった。



聴力、味覚、ふらつき度、

様々な問診、触診、

そしてCT


異常がなかった。

CTで、若干気になる影が。

そして最後の最後に

髄液検査を行った。






顕微鏡で見てみたら、

奇形細胞が見つかった。





結果

癌性髄膜炎。





そこがはじめて原因がわかった。

一月半も無意味な治療をしていた。




その時は詳しい細胞検査の結果はまだでないので

結果がで次第、

癌の治療をしている病院へ送ってくれるとのことだった。





娘の大学病院のボスにには

ただ、ただ、感謝しかない。

残念な結果であったが、

原因を究明してくれた。


しかも、無理言って半日で

全ての検査をやってくれた。



しかも、今治療している病院への

紹介状?的な所見の最後に

やるべき治療を全てやって、

週末期を迎えるときに

うちの病院でお引き受けいたしますので

連絡下さい。

との言葉が記されていた。



それには旦那の主治医も驚いていた。


なぜなら娘の働いている大学病院は

大病院で治療もしてない、ましては

急性期病院はで、

そのようなことは普通はあり得ない。とのことだった。



本当に感謝しかなかった。



それと同時に娘はとても良い上司のいる病院で働いていること、

旦那と共に喜んだ。

旦那も娘のことでは一安心することになった。