こんばんは。
徒歩旅ライター次元です。( ^ω^ )
ついさっき、尊敬する徒歩旅人の児玉文暁さんのウェブサイトで
【徒歩旅はゆっくりするのが1番楽しい】
【旅は目的を作らないほうが楽しい】という言葉を見て、すごく共感しました。
目的地のある旅って、個人的にはなんか違う気がする。
まぁ、ぷらぷら徘徊してることへの言い訳と言われちゃえばそのままなんですがね。笑。
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【徒歩旅番外編 経堂②愛すべき出会い】
経堂駅へは小田急線で1本。急行に乗ればたった15分の道のりだ。
もちろん、その気になればじゅうぶん歩いていける距離だったのだが、
この日はとにかく夕刻間際のスタートだったので、経堂の駅周辺の街を見て回ることにした。徒歩旅というより正しくは散歩といった風情なのだが、【見たことのない風景をみる】という1点に焦点を絞れば、まぁこれも旅と言えなくはなかろう。
そんな風にして自分を納得させて、文字どおり本当にふらふらと駅の南口を降りた。

さすがにさっき食べたクロワッサンだけでは腹具合も心許ないので、何か食べたかったのもあって、駅を出て目の前にあった商店街に入ってみると、いかにも旧市街というごみごみした雰囲気のなかに、やたら横浜家系ラーメンの店が目につく。世田谷区なのに横浜ラーメンなんだなと思ったが、よく考えれば千葉の地元街でも横浜家系ラーメンの店をよく見かけたし、まぁ代名詞みたいなものかもしれないな、ということで無視。さっき小麦粉を食べた上に、さらにラーメンという気にはならなかった。実はこういう徒歩旅をしているのには、ひそかに還暦を過ぎても今の体型を維持するという野望もあるのだ。

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ところで、とくに男性諸氏には暑くなってくるととたんにカレーが食べたくなるといった人も多いのではないだろうか。
俺の場合はまさにその類の人で、おそらくはかなりその傾向も顕著な方だろうと思う。
毎年夏になると、下手の横好きが高じて、独り身のくせにカレーを大鍋に作ったりするのはもはや恒例化している。
もちろん、【下手】なので、人に食べさせたりなどはできないのだが、根が単純で思い込みの激しいたちの俺は、スパイスを効かせた辛いカレーを貪るようにして食らいついていれば、どんなに暑い日もなんとか乗り切れそうに思えてしまう。

そんなふうにして大のカレー好きを自負する俺は、この日の湿気を含んだいやな暑さに身を委ねるうち、自然とカレーの店はないかと探していた。
だいたい、こういう田舎っぽい街並みの中には、何軒かくらいのインドカレー屋が身を潜めているのが最近の常である。

街を歩いていると、たまには格式ばったいかにもインドの高級レストランという風情の【カレーレストラン】もあるが、そういう雰囲気の店は店主もあまり口数が多くないし、愛想もない。
なにより小さな器のカレーにでかいナンというのが馴染めないし、それで1000円以上するメニューばかりなので、たぶん味はうまいのだろうが、そういう【カレーレストラン】に対しては、どうしても足が向かない。

カレーというのはもともとインドをはじめとすアジア各国の国民食であり、日本で言うところの卵かけ御飯のような庶民の味であるのだから、やはり安くて行儀わるく、気軽に頬張れるものであってほしい。

それに、これまでカレー店の店員と飯を食いながら話をして、その場で意気投合してSNSを交換したり、毎週のように通ってチキンカレーを食べては、店員からインドの抱える政治問題や自分の娘の話を聞いたりするのが楽しみでもある俺には、こちらが話しかけても店員が答えてくれないような店は牛丼の松屋でカレーを注文しているのとそれほど変わらない。

彼らの作る本格的なカレーの味が好きなのはもちろんなのだが、やはりせっかくカレーの本場の国から来たプロと話ができるのだから、こちらとしては異文化の交流も楽しみたい。わざわざインドカレーの店を探すのも、そういったコミュニケーションの楽しみがあることが最大の理由なのだ。
そんなことを考えながら街を散策していると、案の定商店街を抜けてすぐの小さな交差点の道に面して、小さなエスニック料理店が目に入った。





お店の名前は【ムクティナート】。耳馴染みのない名前だった。
あとで聞いてみたら、どうも仏教の寺の名前だということだ。
土着の文化として仏教、ヒンドゥー教、イスラム教などへの信仰がしっかりと根付いているインドやネパールにおいては、ほとんどの場合オーナーの宗教的背景を象徴するものが店の名前になっている。
どういうわけか、インドカレーと名前のつくカレー店のほとんどは、インド人ではなくネパール人が経営していることが多い。こういう名前のお店はたいてい
ネパリーが経営しているだろうとあたりをつけて店に入ると、
綺麗に髪を1・9に分けた黒人男性がカウンターにもたれかかりながらテレビを見ていた。
無理もない。この時点で時刻は夕方4時。ランチを食べるような時間ではないし、オフィス街でもない経堂の街ではひと仕事終えた外回りの営業マンが突発的に入ってくることも考えづらい。
しかしまぁ、ゆっくり話をしたいと思って入った俺にとってみれば、これ以上のタイミングはないと言えた。
俺の他には誰も客はいなかったし、多少おしゃべりをしたところで迷惑がられることもないだろう。
「おじさん、ネパリー(ネパール人)?」

通されたテーブル脇の壁面にヒマラヤ山脈の写真があったし、インドカレー店によくあるマトンカレーの飼育小屋のような獣臭もしなかったのでたぶんネパリーだろうとは思ったが、とりあえず聞いてみた。いわば日本語力のチェックである。
日本語がほとんど喋れないなら注文の時点からできるだけ英語を織り交ぜてあげたいし、片言でも日本語が喋れるようなら、話したいことはたくさんある。
なにせ俺は難民支援をしていた頃に出会ったネパリーたちの優しさに感動して以来、アジアでは最も行きたい国がネパールなのだ。彼らの優しさと誠実さは、おそらくは世界でも五指に入るだろう。いやそれどころか、もしかすると世界一かもしれないと真剣に思っている。
とくに、インドやネパール人のカレー店に勤める人々は、単身赴任で日本にやってきて祖国に送金しながら暮らしている人も少なくない。
千葉の松戸市に住んでいた頃よく通ったインドカレー店のシェフなどは月に1日も休みらしい休みがないと笑って言っていたほどだ。

彼らが口々に言うのは【家族のためさ】という言葉。
そう語る彼らの邪気もなくやさしい眼差しに、俺は何度心を洗われたか知れない。

俺は、ついつい立て板に水をしたようにとめどなく自分の思いを彼に打ち明けていた。

カレーから始まったネパール人の親友がいること、
難民支援の仕事をしていて出会ったネパリーに何度も感動させられたこと、
近いうちに震災にあったネパールの村に行ってボランティアに参加したいと考えていること、
支援活動で出会ったネパール人の青年サントスのこと、
とにかく思い出せる限り全てのことを彼に語りまくった。

最初は俺の話に戸惑っていた彼も、次第に俺の話に耳を傾け、最後には笑顔になってくれた。





↑これがその店で食べたカレー。日替わりを頼んだら【オクラと鶏肉のカレー】だと言っていた。
中にはほぼ丸のままのオクラ数本とよく煮込まれたチキンが入っていた。
からさはミディアムにしたのでだいぶマイルドで食べやすく、とろりとしたオクラの味わいがなんとも言えずうまかった。
オクラ入りのカレーは初めてだったが意外にも違和感なく食べられて良かった。
大きなナンは熱々の作りたてで、ホットケーキのようなバターの甘い香りが漂う。程よい辛さのカレーと相まって、これもなかなかのものだった。

彼は勤め先が日本になった時、家族を連れて日本にやってきたそうだ。
今は経堂の店近くで、家族と共に暮らしているという。
俺が別れ際、【フェリべ・トゥンラ=また会いましょう】と言うと、彼も嬉しそうに応えてくれた。
この言葉は俺が難民支援の仕事をしていた時、友人のサントスから別れ際に教わった言葉だった。

俺はこうした瞬間に彼らが見せる、セールスの影を落とさない人間らしい会話が好きだ。
もしかすると、彼らにしてみれば日本人が物珍しさで話しかけてきたように思うのかもしれないが、それでも笑顔で語り合ってくれる彼らの目に蔑んだような光が宿ることは決してない。
彼らの柔和さは、現代の日本人が失いつつあるもののような気がする。
結局そのあとしばらく古本屋などを数件覗き、18時頃には帰路に就くために線路沿いを歩き始めていた。
通りがかりの千歳船橋で昔洗剤の販売で通った薬局を覗いて軽い郷愁に浸り、その日も大変な炎天下だったことを懐かしく思い返した。
そこから少々行ったところで、ゴールデンレトリバーの女の子を連れた犬好きのご夫婦と出会い、昔祖母の家で飼っていたゴールデンの女の子の話をしたりした。


↑ご夫婦が連れていたゴールデンレトリバーのクレアちゃん。最初は尻尾を振りながらも戸惑っていた様子だったが、
別れ際には道路に寝そべってお腹を見せてくれるくらい仲良くなれた。
帰り際にもしきりに後ろを振り返ってこちらを見てくれていたのが嬉しかった。
食事にも気を遣われているらしく、体毛もつやつやでなめらかな痩身の美人だ。

なんのことはない散歩道だったが、家を出てきたほんの数時間前とは全く違う清々しい気分に満たされることができた。

心の思い出にふれ、これから始まる仕事への熱意を再確認し、愛おしい人々や犬との出会いもあった。

俺は、旅とはこんなものであってもいいように思っている。