ども、ムーチョです。


今日は、あったかいので眠いです。

昼寝(朝寝?)の誘惑と戦いつつ、これを書いています。



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昨日の記事 の続きになります。


「私自身、仕事でも家事でも読書でも、効率的にできるのあればいつもそうして、余った時間を有効活用したいと願っている人間ですから。」


という文の中に「効率化」という悪魔的な響きの持つ落とし穴が潜んでいる、というところで終わりました。


どういうことか、考えてくれましたか?


その、落とし穴というのは、 「余った時間を有効活用したい」という部分です。


なぜこの部分が落とし穴なのか。


なんのために「効率的」な勉強を目指しているのか、が忘れら去られているからです。


「効率的」にやる必要があるのは、限られた時間のなかで、なんとか成果を出したいからですよね?


成果と言うと曖昧ですが、要はテストの点数や通知表の成績を上げるのが目的ですよね?


そうであれば、時間を余らせるために「効率化」を目指すのは、おかしいことになります。


もしかしたら、ちょっとわかりにくいですか?


だったら、もっと簡潔に言い換えましょう。


「効率化」は時間を短縮するためにやるのではない


ということです。


使える時間は、目一杯使った上で、さらに中身を充実させるためにやるのが「効率的」な勉強法なのです。


ここ、勘違いしている人が(私自身も含めて)ほんとに多いです。


だから、前回の記事で書いたように、「効率的」という言葉が、「甘美」で、「魅力的」で、「悪魔的」に感じられるのです。

楽そうだから、何か得しそうだから、とりあえす「効率的」!


おやじ~、効率的、一丁! みたいな(よくわかりませんが)


そういう心理が働いている(しつこいようですが、私自身も含めて)ように感じられてならないわけです。


別に「効率的」という言葉を使うのが悪いって言ってるわけじゃありません。

でも、こういう、自分の裏の心理を自覚しておく、ということが重要だと私は確信しています。


「じゃあ、どうすればいいのよ?」


という声に対する回答は、次回の更新で(てへっ)。