ども。


昔は犬も猫も大嫌いだった、遅れてきた愛犬家・ムーチョです(笑)


娘のコハ(中3)が修学旅行(行き先は奈良・京都)から帰ってきました。


家族全員と塾生用にもおみやげを買ってきてくれたのに、

自分用に買ってきた学問成就のお守りを、どこかに落としてしまったらしいです。

うーん、かわいそう。でも、どうにもしてあげられない(涙)


・・・・・


昨日の記事では、

ノウハウやメソッドを求めるという行動の裏には、


1.あわよくば、楽をしたい。

2.あわよくば、楽しくやりたい。


という、2つの意味で「楽」という字がかかわってきます。


というお話をしました。


その続きです。


今日は、この2つの楽を求める気持ちが、

ノウハウやメソッドを求める原動力にもなると同時に、

結局はそれらを継続できない足かせにもなってしまう、

という話をします。


勉強法に限らず、どんなジャンルのノウハウやメソッドにも、

避けて通ることのできないド基本、というものがあります。


例えばダイエットであれば、食事制限あるいは運動。

いろいろ瑣末なテクニックはあっても、

やはりこの2つ、あるいは少なくともどちらかは欠かせないと思います。


野球なら素振りや投げ込み、

サッカーならドリブルでしょうか。


詳しくない分野なので、もしかしたら的外れなことを言っているかもしれませんが、

でも、ポイントはそこではなく、どんな分野にも、避けて通ることのできないド基本がある、という点です。


勉強法で言えば、復習だと私は思っています。

どんな斬新なテクニックを使ったところで、復習を避けて通ることはできません。


そして、ド基本は、はっきり言って、楽でもなければ楽しくもないのです。


一番重要なことは、地味だし、つまらないものです。


だから、楽して楽しくやりたいという思いが強ければ強いほど、やっていくうちに実はそうではないことに気づき、裏切られた気がしてあきらめてしまう、という人が多いのではないでしょうか。


いわゆる「勉強法」を安易に求めてしまう人が挫折してしまいがちなのは、このような事情があるからだと個人的には思っています。


ということで、ここでようやく

いわゆる「勉強法」についての考察<その1>

と話がつながったわけです。


さて。


では、このジレンマを抜け出すためにはどうすればよいか、


という話に入っていきたいのですが、

そろそろ入浴タイムなので、続きは次回に譲らせてくださいな(笑)