認識は、苦痛をも快楽にする。
当然、快楽を苦痛とすることもできる。

認識を、三次元的な合理主義というワクに
押し込めてしまうと、
上記のことが理解できない。
これが自我原理主義だ。
自我こそすべて、というワケw

自我原理主義の構図は、
【社会】←→【自我】
となる。
社会と直に、自我が直面していると勘違いしている。
これは
【自分】という認識が、【自分の肉体】の中にあると
勘違いしたことによってカルト化する。

だが実際は、
【自我】あるいは【自分という認識】は
他者や社会との関わり合いがなければ
成立しない。
自分と言う認識は、自分の肉体の外にあり、
社会あるいは共同体として習合されているのである。

自我肉体主義(←バカ)と自我社会習合主義(←天才)の
違いをしっかり押さえておこう!

テストに出るぞ!