寝つけないね、ジト~ッとして…

西尾幹二か誰かの本で読んだ。
シェイクスピアかなんかの劇で
主人公が敵を殺すかどうか迷う。
結局は殺すのだが、
そのとき彼は
「私が殺したのではない。行動におそわれたのだ!」
という。

分かりやすい例だが、
人の行動はすべて自発的なものではなく、
「行動におそわれている」のである。
おそわれる、というのは
嫌悪感におそわれるとかいうのと同じだ。
行動しているのが、
三次元世界における
三次元的存在である自分が行動しているので、
まるで自発的に行動しているように見えるが、
実際は、行動におそわれている。

自由意志とかで議論されるような、
「行動を伴う意思」に限定して言えば、
自由意志などありえない。
すべての意思は、
其の意思におそわれて、意思が発現する。
つまり偶然必然の区別に関係なく、
そもそも他発的なものだ。

極端に考えてみればいい。
「行動を伴う意思」は、三次元的行動に限定される。
自由なら、
四次元以上の(あるいは形而上の)意思も可能だ。
しかし、四次元以上の意思は不可能だ。
時間の流れを行き来することはできないし、
空間を捩じ曲げることもできない。
四次元以上の世界を「思考」できても
「意思」としては発現させることはできない。

自由な意志など存在しないのである。