こないだ、何気ない会話から
ふと、なるほどと思いついた。

階級闘争史観的な脳みそだと、
「刀」と聞くと、
「刀を持つもの」が「刀を持たないもの」を
切りつける、というステロタイプな発想をするんだなと。
要は「武士が民衆を切りつける」という不条理だ。
なお、辻斬りは江戸時代ですでに禁止されている。

だが実際、「刀」は《戦は正々堂々と行なうべきだ》という象徴だ。
「刀」を持つ者は、体の大小に関わらず平等に戦えるからだ。
矢や鉄砲隊などより、「刀」を持つものが偉かった我國の魂が伺える。
「刀」とは、平和を守るための武力ではなく、
武における道徳を意味する。
大砲を持ち出した明治までの話だが。

最近では、日本人が戦うことを忘れてしまったために、
「刀」が、いざというときは国のために戦うことの
象徴のようになってしまったが、
そんなことは「刀」に諭されなくても当たり前のことで、
「刀」は、正しき戦の象徴だ。
つまり「刀」の意味が、敗戦後六十年を経るうちに
矮小化されたのだ。

「刀」は変わらないものの、ひとつの象徴であったのに、
その意味さえ、「進歩」しようとしているw