ねじれから連想して思ったことです。
私は昔操体法という整体のようなものを勉強していた時があった。
話は20代の頃にカポエラをやってた時にぎっくり腰になったことから始まる。
一歩歩くのに10センチも足を出せない状態になり、
インターネットで探したぎっくり腰専門の整体院へ這うようにして行った。
そしてたった一回の背術で、すぐに普通に歩けるようになるという体験をした。
ぎっくり腰は左右の骨盤をつないでいる筋肉の捻挫で、痛めた筋肉は炎症が治れば治るが、骨盤がズレたままでは、曲がったことによる痛みなどがずっと続くらしい。
体の歪みこんなに動きやすさに影響するんだと知った。
これは操体法ではなかったが、
この時から私は色々な整体やカイロプラクティックに行くようになった。
施術を受けると身体はシンメトリーに近く整えられ、調子も良くなる。
だけど、生活をしているうちにまた歪む。
歪んだらまた行くの繰り返しで、
そのうち疑問が湧いてくる。
歪まないように指導されたりがなんだか窮屈で、
歪ませてしまう私が何か間違っているのだろうかとも思ったこともあった。
30代になりまだブラジルを行ったり来たりしていた頃、
ある時サンパウロに滞在中に日系人のおばあちゃんから整体を受ける機会があった。
そのおばあちゃんのやっていたものは今まで経験したのと少し違っていた。
最初私に一切触れることなく、ある動きをするように指示され、
言われるがままに体を捻ったり動かしたりしていると、
動きが楽になり体の可動域が広がり柔軟性が増していくのを感じた。
おばあちゃんはその都度
気持ち良い方に動かす
ということを言っていた。
快のある方に動かす
それまでは肩が痛い時なんか、ここが痛いのよ〜と言いながら痛いのをほぐすようにぐりぐりしていたけど、そうではなくて、
動かすと気持ちの良い方向に動かせば
不思議と痛かった方向の痛みがなくなっている。
そして気持ち良い方向とは、ほとんどの場合痛い方向と真逆の方向であることが多い。
そのおばあちゃんのやり方が「操体法」というものだった。
興味を持った私は私は日本に帰って来てこれを学び始めた。
カイロプラクティックや整体は、ざっくりいうと体の歪みを正すことで不調を整えようと言うもの。
操体法は、カイロプラクティックでいうところのからだの歪み(ゆがみ)を歪み(ひずみ)と呼び、歪み(ひずみ)を決して悪いものと言う意味で使わない。
操体法では「不自然の自然」という言葉を使う。
歪みはバランスを取るために生まれていて、
歪ませることによってバランスを保っている。
一見不自然とも思える形態をしているように見えても
そうさせることによってバランスを保っている。
その最適な形に収まるための手がかりが、
「快」という感覚。
よくなるために動かす方向は「快」の感覚が教えてくれている。
今の自分に自然な最適な形には歪み(ひずみ)も含まれている。
操体法の先生が自分の施術院が載ってる雑誌を見せてくれた。
そこにはプロスノーボーダーの例があった。
とあるプロスノーボーダーがカイロプラクティックに行って身体の歪みを真っ直ぐにした途端、パフォーマンスが落ちてしまい、当時スポーツ選手に施術していた先生のところに相談に来たとのことだった。
結局その人は操体法でスノーボーダーとしての必要なアシンメトリー性を保ちつつ自分の一番いい形にアジャストして再起した。
スノーボードのようにアシンメトリーな基本姿勢をするスポーツのプロともなれば、一日中その形でいてそれで一番力を発揮できるように鍛えているわけである。
人にとっては左右対称の形は決して一番いい形ではない。
その人にとってのいい形はその人の生活や活動の中でその都度変わっていくものなのだ。
不自然な自然、
私はこれが身体のことだけではなく私にやっている感情のワークにも全く当てはまることだと思った。
私は自分の本質的目的の方向を探るのに、「ワクワクする」=「快」という感覚を手がかりにして探しているのだけど、まさにそれとも重なるとも思えた。
引き寄せでは自分の思考から物事が実現していくから、
自分が不快にフォーカスしていると不快が実現することからも、
快にフォーカスするということは理に適っている。
快の方向をさぐり快の方向に向かえば自然と今の自分に一番良い形になっていく
快は自分にしかわからない。
外側からどんなに完璧に仕上げようとしても、それが自分にとって快でないなら違うんだ。
感じる感覚は私たちにいつも何かを教えてくれている。
快や不快は
こっちだよこっちじゃないよ
と教えてくれている、自分に備わったセンサー。
うまくできてる。
今回も読んでくれてありがとう。
YUKI
