この写真は以前  佐渡 岩首  三太郎(サブ)家の 仲村治作さんからお借りしたものです


昭和29年(1954)  佐渡 岩首  熊野神社 若手連中 

初代半纏 新調



初代半纏と新潟県弁論大会

☆生き証人 静間明美さん(孫左衛門家)に聞いた話
昭和28年11月 新潟県青年弁論大会に佐渡郡代表として出場する明美さん(旧姓 中村・権太郎家)は 青年団 団長の山崎実さん(権三郎家)ほか 男(甚五郎家)女(佐五平家)1名ずつの計4名で 新潟に向かったそうです
当時 第一期海岸護岸工事を治右衛門家に泊まりながら行なっていた 羽茂 本間組のポンポン船に乗って水津(佐渡汽船新潟行きの寄港地)へ行き 船を乗換えて新潟へ  新潟に着き次第 古町 大和百貨店二階へ直行して 実さんが 岩首 熊野神社 若手連中 初めての半纏を注文したそうです
明美さんは その時のやりとりの中で店員が言った「 でぇしきゅう (大至急)」という言葉が 強く印象に残っていると言ってました
その後 県弁論大会会場 高田中央小学校へ行く為 汽車で移動(初めて乗る汽車が楽しかったらしい) 
そうして臨んだ弁論大会の結果は 見事 新潟県第一位となり甲信越大会の出場権を得ましたが 翌年早々に結婚も控えていた為 辞退したそうです(岩首郷土史には全国大会出場権と書いてあるが 直接本人に聞いたので間違いない)
 ps   帰り道 男たちは 新潟一の歓楽街 古町に行きたがっていたそうです

☆佐藤マチさん(権助家)に聞いた話
マチさんの夫 正康さんが生前よく言ってたそうですが 昔の若手連中は本当に金がなくて この半纏の金も借金をして 何年かかけて返していったそうです
また 明美さんの弁論大会の事についても教えてくれて 題名は 「いち少女の願い」  原稿を考えたのは明美さんの兄の 保男さん(兵左衛門家主人)だそうです
 

そのほか この写真にも写っている 中村隼人さん(中屋家)にも その当時の話を聞きましたが それまでは岩首若手連中に半纏が無かった為 他の集落の事を「けなりい (羨ましい) 」と思っていたそうです
そんなわけで 写真の中の若手連中は みんな誇らしいいい顔してます


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