先週は五日間行われたスコット・ウィリアムズWSに参加していました。
そこで大事にされていたことは『役の人物として真実に生きること』。
芝居の勉強をしていると、よく舞台上で生活してください、役の人物として生きてください、そこにいてください、といった言葉をよく聞きますが、実際のところ役の人物として生きるってどういうことなんだろう・・・と、あまり具体的な答えは浮かんでいませんでした。
私がプロの役者を志した一年目、文学座の研究所ではセリフを聞いてください、そこにいるだけでいいですといった指導をよくされていました。
しかし、プロの俳優を養成する機関でも、具体的に何をすればセリフを聞けるのかは教えてもらえませんでした。
シンプルな言葉でまとめられていますが、セリフを純粋に聞くためにはいくつものトラップを回避しなければいけない。
次に言うだろう自分のセリフの準備をしてしまうこと、見ている人に良い評価を与えたいと考えてしまうこと、相手役の次の言葉を既に想像してしまっていること、等、挙げれば挙げるほどキリがない。
そして、どうやってこういったトラップを回避するのか。その具体的な方法は教わらなかったのです。
セリフを聞く、そこにいる、というのは口では簡単に言えるけども、実際はとても繊細で困難な作業を経てようやく実現する結果なのだろうと思われます。
一年目はそういった曖昧な指導で誤魔化されながら、自分を査定する人間が見ているから、上手にやらなきゃ、セリフを聞かなきゃという意識にシフトしていきます。そんな状態でパフォーマンスなど発揮されるわけがない。
プロの俳優さんから教わる演技指導と、教えることを専門とするトレーナーの演技指導は全く違うように思えます。
今回のWSでは、スコットによる具体的なメソッドが提示されることで、そこにいた俳優は科学的に導かれていたようでした。
非常に美しい5日間でした。
このWSを終え、舞台上で生きることについて、少し考えてみようと思います。
私は今回のWSの最終日、これまで何度舞台に立っても辿り着けなかった地点に到達しました。
それは相手と本当に会話をして、本当に心を動かされたこと。自分がプランをして作り上げた感情ではなく、全く予期していなかった感情。そしてその感情のパワフルさは、過去の舞台で自ら演出して作り上げた感情と同程度の熱量を持ちながらも、どこか心地よく、終わっても全く疲労感の無いものでした。
【予期していない】というのが、とても面白いものでした。自分で準備をしていなくても、ここまで心が大きく動くのかと、非常に衝撃を受けていました。なぜなら、私はこの3年間、『舞台上の本当の感情』を追求して、色んな方法を試していたからです。それは主にプランニングのアプローチを変える方法です。
このように準備すれば、上手く感情を引き出せるかも、とか、自分のセリフの意識を極限まで減らせばそれはリアルかもしれない、などです。
ですがスコットのWSで一番大事にされていたことは、心の動きの操作を自分ではなく相手に委ねることです。
この時点で、今まで私が取り組んでいたものを根底から覆すような考え方だと分かります。
そしてその通りに行ったら、自分で演じながらも、まるで現実で対話しているような感覚を覚えました。
自分がセリフで言っていることと反対の感情が容易に芽生えるようになり、相手役との関係性もその場で浮かび上がりました。今行っていることが現実に存在しているかもしれないと錯覚するほどの、まるで夢の世界にいるような感覚です。
そしてシーンが終わった後も、感情の高ぶりはしばらく収まりませんでした。現実の感情の高ぶりも、何十分経っても尾を引きますね。自分で用意した場合は、舞台を出てしまうと乾いたようにすぐ無くなります。スコットは、私たちが行ったシーンを、とても心が動かされるシーンだったとフィードバックしました。
観客の心を動かすというのは、文学座を出てからずっと胸に抱いていた夢です。それが紆余曲折ありながらも、ようやく形を帯びてスコットに手渡されたようでした。
私は今回の結果をとても興味深く振り返りました。
夢の中にいる感覚が、現実に存在する。そしてそれはトレーニング次第で科学的に引き起こせるということ。
これを知っている人が、舞台人に限らず世の中に何人いるだろうか、もしこれが常識になれば業界はどれくらい盛り上がるのだろうか、などと色々思考を巡らせました。
舞台を観に行けば、まるでそこにいるみたいな人たちが、作られた物語によって現実では起こり得ない理不尽に直面しているのを見られる!というのはかなり面白いコンテンツだなぁと。
そりゃ、元々舞台はそういうエンタメとして作られたのだろうとは思いますが、実際にそれが実現されている舞台は、これだけある中でも多くないんじゃないかなぁと考えています。
セリフが綺麗に言えるなどの技術が俳優に渡されると、俳優はそれを使ってしまう、しかしそれは生活に全神経を注ぐよりもどこか余裕のある状態のように思えます。余裕のある俳優の演技を見てお客さんが喜ぶとしたら、それは生きていることを見るよりもパフォーマンスを観に来ているようです。
スコットは俳優の技術を【筋肉】と表現していました。スコットの教える技術を繰り返しワークしていくことで、狙った筋肉を鍛えようという狙いです。そして、上手にセリフを言おうや、綺麗に見せようという意識も別の筋肉であると言っていました。特定の筋肉が発達していると、俳優は使いたくなくてもその筋肉を使ってしまう。そして、その筋肉は舞台上で真実を持って生きることを阻害してしまう。
どの筋肉も鍛錬の結晶であることは事実ですが、バランス良く鍛えていくことが良い俳優になる道筋かもしれないと思いました。
色々書きましたが、スコットの理論がよく理解できたかと聞かれたら、そこまで自信は無いです。今は膨大な知識が入って、パラシュートを開きながら徐々に降りているような感覚です。これから実践していきながら、自分の中で納得できるところに着地していけたらなぁと思っています。