今回は、コロナ禍(初期)の我が家の療育などについでです。感染者や濃厚接触者に対する対応も厳しく、まだワクチンも始まる前?始まった頃?の話です。




​PT(理学療法)

こちらは、一般の病院の午前診察と午後診察の合間に待合室の廊下なども使用して行っているものだったので、緊急事態宣言が出ている間はお休みしていました。結局、ほとんど行けなかったと思いますぐすん




​ST(言語療法)

この時期に特に力を入れていたのが、言語療法なので欠かさずに続けました。療育センターに通うことができる最後の年だったのも大きかったと思いますおやすみ



​保育園

まだ子どもたちへの感染が少なかった時期です。

学校が休校していた間も保育園はこれまでどおり通園できて本当に助かりました。

保育園最後の年に、記念の行事はなくなるまたは縮小されるという形でしたが、子どもたちのために日々頑張ってくださる保育士さんには頭があがりません。

おちびはマスクは嫌がらずに着けることができましたにっこり紐が耳にかかるのは平気なようです。ただ、よだれがついたりするので、替えはたくさん必要でした。

マスク問題、コロナ禍なのでみんながピリピリしていて難しいですよね。ヘルプマークも必要だと思いました。




​休校中(ちび兄)

学校が休校になって、校内の学童もスタッフの確保の問題から、夕方の通常の時間までは預かりはありませんでした。


そのため、朝8時45分から学童が始まるまでは、学校の教室で預かりがありました。


各学年ごとに、朝登校した順に間隔を空けて席に座ってひたすら勉強などをする。もちろん放課も外遊びも禁止という真顔という苦行の内容でしたので、参加する子はどんどん減っていきました。



ちび兄はわりと勉強は好きなのと集中してやりたいタイプなのでなんとか耐えてましたが、さすがに春休みが終わり新学期が始まると、当時実母のパートが終わるまでの午前中のみ参加しました。



朝は保育園までおちびを送り、その後時間差でちび兄を小学校まで送りという生活。



お昼は実家でお願いできたので、私も助かりました。今、思い返しても大変な時期でした真顔仕事も繁忙期なので、在宅勤務にはできなかったです泣