ずっと土の中にいた水仙
長い冬を越してきた水仙
春になって顔を出した
こんにちは こんにちは

水仙が話しかけるようだ
水仙の花びらに しずくが一粒
こんにちは 水仙さん







私は人から褒められることがない子どもだった。いや、正確には、褒められることが極端に少ない子どもだった。だから、40歳になった今でも、いつ、どんなとき、誰に褒められたのかをよく覚えている。

一度目は、7歳の時。私は小学二年生だった。その日の国語の授業で、私は「水仙」という詩を書いた。当時私が住んでいた小汚い木造の住宅の裏手には、なぜか手入れもしないのに、毎年春には見事な水仙が咲いた。だから私は、その水仙を思い浮かべながらその詩を書いた。

翌日の国語の授業で、私の詩が真っ先に読み上げられた。

「とても良い詩ね。トウコちゃん、良く出来たわね。」

若い女の教師は、そう言って褒めてくれた。

誰かに褒められたのはこれが初めてだったので、嬉しくなった私は、その詩を完全に覚えてしまった。それだけでは足りずに、その詩に旋律をつけて歌にまでした。その歌を何度も口ずさんでは、教師に褒められたことを母に自慢した。母はもしかしたら

「そう、よかったわね」

くらいの事は言ってくれたかもしれない。もしくは、

「私の娘なんだから詩が書けるくらい当たり前でしょ」

と言ったのかもしれない。とにかく、褒めてはもらえなかった。



 だが、二度目に褒めてくれたのは母だった。当時10歳、小学五年生だった私は、一歳年上の兄と一緒に祖母の家の風呂場にいた。当時私たちが住む木造住宅には風呂がなかったので、週に一度、車で10分ほどの場所に住む祖父母の家に風呂を借りに行くのが習慣となっていたのだ。

 風呂に水を張るためにざっと流すだけのはずが、兄と私でしばし水遊びにこうじてしまった。祖父母の家の風呂場は母屋から離れていたので、その様子は、母屋にいた母にはわからなかったに違いない。いつまでたっても帰ってこない兄妹をいぶかしく思ってか、母が見に来た。

「いい加減に水を溜めなさい」

とたしなめられて、私は慌てて、鎖の先にぶら下がっている風呂の栓をそっと排水溝の上にかぶせた。その後で、兄が勢いよく水道の蛇口をひねった。その様子を見ていた母は、中腰になって風呂桶の上にかがむと、

「ちゃんときつく栓をしなくちゃだめじゃない」

と言いながら、栓を強く押し付けようとした。その時私と兄がほぼ同時に

「大丈夫だよお母さん。水圧できちんと押されるから」

と言うと、母は驚いた顔をして、

「あんたたちって頭がいいのね」

と言って褒めてくれた。



 私の中にある誰かに褒められた記憶はこの二つだけだ。5歳の時に女を作って出ていった父親には、「女の子どもは良く泣くから」という理由で嫌われていたし、母は常に、新興宗教の会合やら、仕事やら、何やら子どもにはわからない付き合いやらで忙しかったし、学校には、嫌な匂いをさせていつも同じ服を着ている私を褒めようなどとという人間はいなかった。母の両親に当たる祖父母には、私たち兄妹は、ただのチンピラの子どもとしか思われていなかったらしく、母と一緒に訪ねて行っても、ついぞ歓迎されなかった。