『ブラック・ダリア』 | ジダラク

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自堕落。星5つ満点の書評+αな日記。

『ブラック・ダリア』 IMDb

デ・パルマによる



 星4つと4分の1。快作。



 リングの上で二人の警官が闘っていた。片方は炎のような情熱を纏う、ボクサーとして名をはせたこともある男。もう一方は氷のように自分を装う、「まだ強い相手と対戦したことはない」と言いながらも無敗の男。ミスター・アイスはミスター・ファイアのことをよく知っていた。彼のボクシングのキャリア故か。ロスで起こった暴動の最中に偶然顔を合わせた二人が勲功を挙げた。そして警察はPR活動の一環として、ふたりの対戦を企画した。


 アイス――”バッキー”・ブライカート(演じるはジョシュ・ハートネット)には父親がいた。父は子供のように振舞い、駄々をこねる。脳に障害があるのだろう。試合で相手を勝たせれば、自分が賭けた金が払い戻され、父を施設に入れることが出来る。


 彼はリング上で、ボクサーとしての潔癖なキャリアと、上顎の歯を同時に失った。



 キャンペーンの成功が功を奏したのか、バッキーは特捜課に異動(昇進)となる。そこで彼を出迎えたのはミスター・ファイアこと”リー”・ブランチャード(アーロン・エッカート)だった。ふたりはコンビを組むことになり、成功を重ねていく。


 リーの側もバッキーのことを知っていた。リーの恋人・ケイ(スカーレット・ヨハンソン)はバッキーの試合を観戦したことがあった。バッキーはリーに食事に招かれる、ケイも交えて3人の絆の結び目は堅くなっていく。



 麻薬の取引現場を張り込んでいたときだった、眠りから醒めきっていなかったバッキーはリーの忠告――咄嗟の檄で銃弾から逃れ、命を救われた。一連の騒ぎが収まったとき、現場にはリーと過去に面識のあった死体が転がっていた。


 時をほぼ同じくして、エリザベス・ショートという若い女性が殺される。女優志望の彼女の死体は、無残な状態にされていた。唇は耳まで裂かれ、臓物と生殖器は撤去され、胴体は二分されていた。この事件には特別捜査班が組まれることとなる。


 このころからリーの様子がおかしくなり始める。出所した婦女暴行の前科者を警戒すべきだとバッキーが言っても耳を貸さない。「一週間だけだ」そうリーは言う。それまではうまくいっていたふたりの仲にも、暗雲が立ち込める。リーはバッキーにもベティ・ショートの事件を捜査し、情報を集めさせようとする。



 生前のベティの足取りをたどるうちに、レズビアン・バーにバッキーは行き着く。K.D.ラングによる「Love for sale」(written by Cole Porter)の歌唱が映像とも相俟って絶品。そこでバッキーはベティと関係があったという金持ちの令嬢に出会う。令嬢の家でバッキーは食事の席につくことになるが、得たのは不愉快な思いだった。


 哀しげな表情を湛えた、ベティの映像――それはスクリーン・テストのものであり、もうひとつはポルノ映画のものだ――が劇の合間を縫うように挿入されるが、そこで映し出されるメッセージが肉料理に添えられたソースのように、作品を引き立てる味を出しているように思われた。



 やがて、リーとケイにとっては思い出したくないらしいビリー・ダウィットという男の出所が決まる。過去の事件が彼らを傷つけた、ケイの背中に“BD”と傷跡で彫られているのを、バッキーは見てしまう。リーが常軌を逸する度合いは高まり、聖三角形は歪になっていく。ケイはバッキーに打ち明ける。「これから私たちどうするの」「3人のことか」「いいえ、ふたりだけのこと」



 いったん転がりだしたストーリーは、細かく衝撃的なエピソードを積み重ねた前半からの大部分を活かし、終盤で鮮やかな絵図を描くことに成功する。そこではミステリ的味付けによるところも多いので、慣習に従って粗筋はここで締めておく。



 映画を観始めて十分も経つと、作品の世界観にもう引き込まれていた。1940年代のLA、街中での暴動という絵柄の力もさることながら、ふたりの男が汗と拳を飛ばし、リングを沸かす様には降参してしまう人も多いのではないでしょうか。


 一度嵌まりこむと、あとはデ・パルマ作品が得意とする(ような気がするのだけれどあまり自信が無い。違ってたらごめんなさい)カメラワークが興味を掴み続けてくれる。原作ゆえかも知れないが、細かいエピソードの畳掛けのような部分が多いので、あの人間的な速さでのなめるカメラは一層効果的だったのでは。音楽の使い方もにくらしく巧い。

ちゃんと階段を上空から撮るシーンもあります(笑)

 ただ、後半の伏線がドミノ倒し的に回収される部分では、カメラの動きは収まる。ただし代わりに、静止した構図からはストーリーの異常さが発散される。

化け物のような母親が拳銃自殺するシーンは爆笑もの。悪夢のような劇だ。


 主人公のバッキーは「汚れ」に異様に執着する。それは令嬢と寝たあと、ベティと寝たことを告白されたシーンでも顕著。最終的に彼はあらゆる嘘を厭うのだが、融通の利かない誠実さの何が、そこまで重んじるべき対象になるのかはさっぱりわからなかったなあ。価値観の違いかも。なんというか、そういう宗教もあるんかねえ。とまで思ってしまい少し白けた。


 しかし、何はともあれ傑作ですよ。これは。クラシカルな舞台の意匠、魅力的な俳優陣と、映像的な希求力も申し分なし。話としても面白く、サプライズまで用意されている。何度も観たい映画ですが、そろそろ公開時期も過ぎてしまいますかね……


 ギリギリ間に合いましたー。