いよいよ、「審判の夏」がやってくる。


4年前の郵政選挙とは、少し違うのだが、おそらくは民主党に票が流れるのだろう。


今まで、自民党が築き上げてきた「日本」が政権交代によって大きく舵をきることになる。



不思議なのだが、これほどまでの大きな流れであるにもかかわらず、国民に高揚感がない。


それは、民主党の政策に実現性があるのかどうかに疑問符がつくからだ。


でも、変えなければ、何も変わらないという思いから、国民が大挙して民主党に票を入れるのであろう。


この閉塞感を打破する方法とでしか、この選挙をとらえていないのではないだろうか。


誰一人として、そのひとつひとつの核心に近づこうとせず、非常にあいまいな意識で、

首をすげ変えようとしている。


もしも、民主党が期待を裏切る政党であったとしたときに、いったい誰が責任をとるのか?


国民なのか?


そうであるならば、その責任を取るための1票を投じているのか?


郵政民営化、

年金問題、

サブプライムローン問題、

高速道路問題、

etc・・・

ほとんどの国民がその本質を理解していない状態で、政治が動いている。

政権が代われば、この世の中が本当によくなると信じ切っている。

違う。

他人任せで、岡目八目を続けているこの日本に、明るい未来はあるのだろうか。




「変わる」ことが、この世の幸せだったのか?


それとも、


「変わらない」ことが幸せだったのか?



数ヵ月後にこんな議論にならないことを私は祈るのみである。




次の打つ手が本当になくなったときに、この国を憂う人材が登場するのだろう。



実は日本にとって、「審判の夏」は、この夏ではないと感じるのである。


あともう少し先に、やってくるのだろう。