先日、思いもよらない悲報が入ってきた。
それは、叔母が自殺で亡くなったというものだった。
時が止まるとは、本当にこの事かと思った。
太陽のように明るく
叔母の周りにはいつも笑顔が溢れていた。
まさか、誰もがこんな日が来るとは思っていなかったと思う。
まだまだ先の見えない叔父の介護を10年くらいしていた叔母に、
てっきりそれだけ思い詰めてたのかと、
最初は
私の中で原因を決めつけた
だから
私は、心の在り方や宇宙の法則を伝える事を何故しなかったのか悔やんだ。
自分の人生はゲームのように自分で創れるんだよと
叔母の人生を、私が変える事は出来ない。
でも、スイッチを押すきっかけを与えられたかもしれないとやるせなかった。
いろいろ思いを巡らせたけれど、
また、新たな憶測のような話を聞いて
叔母は、最後まで幸せを選んだんじゃないかと、
それも私の勝手な憶測だけれどそう思った。
あぁ、自殺だから、苦しんだ辛かったんだ
ではないんじゃないか。
それも、私の解釈なだけで、
本当の真相は本人にしかわからないけれど、
叔母は、一番支えだった人の所にいきたかっただけじゃないのかな。
私がそう思いたいのかもしれない。
「無責任でごめんなさい」
おばちゃんの残した言葉にあったらしい。
私は、棺に入れる手紙に沢山の想いの中でこう綴った
「おばちゃんが選んだことなら、それでいいんだと思う。」
沢山の感謝の中で、
おばちゃんいいんだよって言いたかった。
私は、無責任だなんてこれっぽっちも思わない。
むしろ逆だ。
何のジャッジもなく、どんな真実があっても
叔母が自ら選んだ命ならば
究極は、それでいいんだと思う。
善悪も何もない。
「大好きなお母さん」
「おばあちゃんだいすき」
最期のお別れの時は、哀しみも共にあったけれど、愛と感謝が溢れていた。
それも叔母が築いた家族や人生
私が思い出すのは
ちょっとふざけた事を言ってペロッと舌を出す
お茶目な姿
私と同世代の娘から、〇〇ちゃんと呼ばれる友達のように仲の良い親子関係
姉の結婚式のダンシングタイムでは、率先して踊りにいくチャーミングな姿
子供の頃、夏休みに兄妹だけで田舎に帰省すると甘ったれの私は寝られず、叔母が添い寝してくれたあたたかく優しい人柄
おばちゃん
ありがとう
とても大事な事を
気づくきっかけをもらったよ。
色鮮やかな人生を送って
学びが終わり
「帰ってきてよし」
と許可されたんだね。