天国の竹内さんに1つだけ言いたいことがあります | 生きているだけで十分 宍倉清則のいまのキモチ

天国の竹内さんに1つだけ言いたいことがあります

 

昨日、自分が暗いという話を書いたのは、ほかでもない。ここにつながる。

 

竹内さんは私を「暗い」「地味だ」と、さんざん言った。その通りです。

 

でも、じゃあ、明るい「ピラニア」ウォーリー山口雄介と2人だけのときは、そんなに楽しかったですか?

 

いやいや、そんなはずはない。

 

竹内さん、雄介、私。この3人がそろったときがいちばん楽しかったはずです。

 

少なくとも、私はそうだ。

 

週プロ時代も含めて、この3人でプロレスの話をしているときがいちばん楽しかった。

 

信じられないかもしれないが、月刊誌時代(月2回)のゴングは竹内さん1人で作っていた。ま、私も1人でデラプロ、作っていましたが。

 

つまり、部下、弟子がいなかった。

 

そこに入ってきた雄介と私。いわば、初めての子分。

 

「親分」竹内さんにとっても、それは楽しかったはずです。

 

3人寄れば、文殊の知恵とはよく言ったものだ。

 

食事に行くと、竹内さんは嫌いなものを「アナクラ君、これ、あげる」と次々にくれる。私がたくさん食べるのを非常に喜んでいた。

 

竹内宏介、山口雄介、宍倉清則。昭和53年から55年にかけてのゴングは特に面白かった、と私は自負しています。