日本ラグビーの「聖地」秩父宮ラグビー場。

1964年の東京五輪後世代の私には国立競技場、神宮球場、秩父宮と隣り合わせのあの一画は由緒正しき「聖地」に相応しい地域に思える。

が、しかしちょっとその土地の変遷を紐解くと感慨深いものがある。

江戸時代、あの辺りは青山甲賀百人組という鉄砲足軽の長屋が置かれた土地だった。

甲賀の鉄砲衆。徳川幕府成立時の武勲は華々しいものがあった。しかし天下泰平の世では自慢の武を振るう機会はなく、貧をいやすために傘はりの内職に励んでいたという。

そしてその後明治維新となり、あの辺りは陸軍練兵場に。さらには女子学習院の敷地となり、空襲によって焼失し、ラグビー場になったという。

伝統というが、それはたかだか戦後のことなのだ。

かつてそこはラグビー場だった。と言われぬ様にしたいものだと思う。

樹木伐採などもってのほかだ。